株式会社久栄社 Kyueisha

株式会社久栄社 Kyueisha 水なし印刷やFSC認証紙、カーボンオフセットなどの環境負荷の低減につな? Eco-friendly printing is our strong point. Moreover we have been using Non-VOC Ink which is 100% Soy Based Ink.

私たち久栄社は、企画デザインから、製版、印刷、加工、発送までの印刷のすべてのプロセスをグループ企業での一貫した作業を実現しています。
印刷物においても「環境へのやさしさ」のニーズが高まっている時代の中、“環境対応印刷”に力を入れて取り組んでいます。

「水なし印刷」「Non-VOCインキ、植物油インキ」「FSC認証紙」、これらを組み合わせ、トータルな環境対応印刷で時代を一歩リードする環境対策アドバンテージを印刷物を通して提供しています!

We operate as an all-in-one resource to support a variety of printing. Kyueisha has been recognized us the first Waterless Printing company in Japan, and all our commercial print

ing process has been adopting waterless printing. Waterless printing does not use dampening solutions, which contain alcohol or VOC (Volatile Organic Compounds). Waterless printing eliminates the need for up to 100,000 liter of water and 10,000 liter of alcohol per year consumed by a typical mid-size printer. Using Non-VOC inks helps keep the VOC levels well below the standards of conventional Soy Based Inks. We also are an FSC Certified (Forest Stewardship Council) printer, we participate in a Chain-of-Custody system which insures paper products are manufactured in a responsible manner from responsibly managed forests.

【七十二候だより by 久栄社】 <第35候>土潤溽暑(つちうるおうて むしあつし)7月28日は、七十二候では35候、大暑の次候、『土潤溽暑(つちうるおうて むしあつし)』の始期です。盛夏の陽射しが強く照りつけ、夕立などで湿った土壌が高い気...
27/07/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第35候>
土潤溽暑(つちうるおうて むしあつし)

7月28日は、七十二候では35候、大暑の次候、『土潤溽暑(つちうるおうて むしあつし)』の始期です。
盛夏の陽射しが強く照りつけ、夕立などで湿った土壌が高い気温で暖められて、熱気が纏わりつくように蒸し暑くなる頃。

『大暑』の節気では、初候は「桐」の花が実を結んで、多様な夏の植物シリーズの最後を飾り、植物系としては、次は秋、『処暑』の初候の「綿」へと繋がっていく流れになります。
今回の次候は、気候を表しており、「土」が一つの題材ですが、春は『雨水』の初侯『土脉潤起(つちのしょう うるおいおこる)』で春の雨に大地が潤い始めた頃から5ヶ月が経過し、例年で言えば梅雨明けから日数もそんなに経っていない中で、気温がぐんぐんと上がり、日本の真夏に特有な高温多湿な気候がピークに達してきていることを宣言しているように感じます。
そして、末候の『大雨時行(たいう ときどきふる)』へと連なっていきまして、暦の上では「晩夏」のクライマックスを迎えることになります。

「溽暑(じょくしょ)」や「溽熱(じょくねつ)」とは、湿気の多い暑さ、すなわち蒸し暑さのことで、陰暦6月の異称でもあります。
太陽にじりじりと熱せられた地面からは、ゆらゆらと立ち上る陽炎が見えたりもします。

強い陽射しに照らされて土が熱を発すること、またその熱気のことを「土いきれ」といいます。「いきれ」は「熱れ」とも書きます。
草の茂みから立ち上る、むっとするような熱気は「草いきれ」といいます。植物の葉が表面温度を下げるために行う「蒸散」により、草の匂いが漂います。

蒸し暑さがピークに達するこの頃、「土いきれ」や「草いきれ」によって、じっとりと熱気が人にもまとわりつき、土や草木の匂いや香りに、むせ返ってしまうほどです。
因みに、人が多く集まっていて、人の体から出る匂いや体熱でむんむんすることを「人いきれ」といい、不快な状況を表します。

「草いきれ」や「人いきれ」は夏の季語として使われますが、「油照り(あぶらでり)」という季語もあります。
風がない薄曇りの日に、薄日が照りつけて、じっとしていても脂汗が滲んでくるような暑さを感じることがあります。

炎天のからっとした暑さとは異なり、じめっとした空気の重さが身に纏わりついてくる暑さで、重苦しさが体にこたえます。
この頃は、熱気と湿気に悩まされ、一年で最も過ごしづらい時季とも言え、私たち日本人は、昔から「涼」を求めて工夫をしてきました。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

日本画の世界では、明治に生まれ、大正・昭和にかけて文展・帝展への出品を機に日本画を極めていった、鏑木清方(かぶらき きよかた)の描いた『朝涼(あさすず)』という作品があります。
清方は、近代日本の美人画家として「西の(上村)松園、東の清方」と称されましたが、江戸風情のある情景から同時代の庶民の生活まで、人物を中心とした情緒あふれる風俗画を多く描いた画家です。

『朝涼』は、家族と逗留していた神奈川県横浜市の金沢にて、厳しい夏の暑さを避けるように、まだ月が姿を残している早朝、一緒に連れ立って散歩する習慣の長女を画中に収めた作品であり、帝展に出品されました
淡い緑で調和よく表現された稲田や朝露を光らせている草花を背景に、おさげの長い黒髪、薄紫の浴衣、白地に牡丹の帯をまとった、あどけなくも清浄無垢な少女が描かれ、全体として静謐な奥行き感や柔らかな美しさが感じられます。

現実の風景と実在の人物を写実的に構成して描いた表現方法は、清方が、大正の半ばから約5年かけて模索し続けた末に到達した新たな試みであり、進むべき道を見出した清方は、後に代表作となる『築地明石町』をはじめ、後半生の制作活動へと邁進していきます。

「朝涼」という言葉は、現代ではあまり使われませんが、朝の涼しさを表した言葉であり、「夕涼み」の対義語としての意味も持っております。
日本画の『朝涼』は、鎌倉市の鏑木清方記念美術館が所蔵しており、今年は8月下旬以降に『朝涼』の企画展を開催するようです。

京都の平安貴族に端を発する「涼み」の営みは、江戸時代には「納涼文化」として貴賤を問わず広がり、屋形船や河原での遊興、神仏の祭事や縁日、花火大会など、日暮れてからの納涼風物が盛んになりました。
特に花火大会は、現代では益々身近な夏の風物詩となり、各地の夜空に色鮮やかな花が一瞬の儚さを演出しながら美しく咲き、艶やかな光が瞳に染みて、迫力ある音が耳を打ち、心と体を揺さぶります。

花火大会で見る「打揚花火」には、星が円形になって四方八方に飛ぶ「割物」、上空でくす玉のように2つに割れて星や細工を放出する「ぽか物」、一つの花火の中に多くの小さな花が一斉に開く「小割物」などに分類されます。
それぞれの花火には、開いてから消えるまでの特徴を表現した「玉名(ぎょくめい)」という花火の名前が付けられていて、「菊」「牡丹」「大柳」「柳」「椰子」「土星」「蝶々」「千輪」など、日本人らしい美意識が感じられます。

今年は、月初めに示した通り、6月8日に沖縄、19日に奄美、そして27日には九州・四国・中国・近畿で一斉に例年よりかなり早い梅雨明けが発表された後、7月4日の東海の後は北部・東部の地域では梅雨前線が戻る動きがあり、18日に関東甲信・北陸・東北南部、19日に東北北部が平年並みか早めの梅雨明けが相次いで発表となりました。

関東甲信で見ると、令和になってからの3年間は、梅雨の長さにかかわらず、降水量が平年水準を大きく超過しており、令和元年は平年比131%であり、令和2年は平年比174%と統計史上の最高値となり、令和3年は平年比128%でした。
令和4年は平年比90%と久々に平年水準を下回り、一昨年の令和5年は平年比110%、昨年の令和6年は平年比113%となり、過去3年は平年に割と近くなっております。

近時は、いずれの年も各地で警戒級の大雨や線状降水帯による災害が起こっており、甚大な被害の発生が相次いでおります。
今年は、7月10日から11日にかけて前線が東北地方から関東甲信地方を南下、東北地方から西日本まで大気の状態が非常に不安定になり、各地で大雨が降り、幾つかの地域で災害危険度が急速に高まりました。

その後も、各地にて局所的な大雨被害が報告されており、全国的に、記録的な大雨に加えて急な雷雨への警戒も必要です。
一方で、北海道で摂氏39度の最高気温を記録するなど、危険な暑さが日本列島に襲来しており、熱中症に対する厳重な警戒と対策の必要性も指摘されております。

本格的な夏が到来した後は、更なる猛暑や雷雨や台風など、この季節ならではの天候・気候への備えが必要であり、情報収集に努め、自然や災害へのリテラシーを上げていくことが大切です。

例年、これから全国各地で花火大会や行楽のシーズンを迎えます。昨年からお祭りや各種イベントなどが本格的に再開され、各地に夏の活気がと納涼の文化が戻ってきております。
引き続き、災害対策と体調管理には充分に気をつけて、過度な「人いきれ」の世界はなるべく避けながら、安心で心地よい夏休みを楽しめるように工夫していきましょう。

この時季ならでは、自然の中での「涼のある風景」、また、都会や地域の中での適度な「納涼」、各々で機会を見つけて、いろいろと風情も味わいながら、蒸し暑さを乗りきっていきたいものです。
こまめに水分補給をするなど、熱中症対策など心がけつつ、気候変動の影響にも意識を持って対処しながら、前向きな気持ちを持って、日本らしい夏の文化と生活を積極的に楽しみたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第34候>桐始結花(きり はじめてはなをむすぶ)7月22日は、二十四節気では『大暑』、一年で最も暑さが厳しく感じられる頃で、夏が真っ盛りの時を迎えます。蝉も、あちらこちらで一斉に鳴き始めて、まるで夏本番を...
21/07/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第34候>

桐始結花(きり はじめてはなをむすぶ)

7月22日は、二十四節気では『大暑』、一年で最も暑さが厳しく感じられる頃で、夏が真っ盛りの時を迎えます。
蝉も、あちらこちらで一斉に鳴き始めて、まるで夏本番を告げるかのようです。
子どもたちの夏休みが始まり、例年として、各地で花火大会やお祭りなど、夏の風物詩やイベントが盛んになります。

七十二候では34候、大暑の初候、『桐始結花(きり はじめてはなをむすぶ)』の始期です。
初夏に咲いた桐の花が、実を結んで、翌年の蕾もつけ始める頃。

『大暑』の節気は、「盛夏」でもあり、暦の上では「晩夏」でもあります。初候は「桐」、32候の「蓮」に続く植物として、また、21候の「竹」同様、人々の生活に欠かせない大切な素材としての登場です。
その後、次候は『土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)』、末候は『大雨時行(たいうときどきふる)』と続きまして、真夏の高温多湿な気候が2つの候の題材となっています。

桐は、キリ科キリ属の落葉広葉樹、ここでは主に、白桐といわれるココノエギリを指しております。
桐の和名には諸説あるようですが、乳白色の木目が美しいため。木目の美しさを表す「木理」から「キリ」に転じたという説があります。
枝を切ってもすぐに芽を出して伸びることから、「切る」が転じて「キリ(切り・伐り)」と呼ばれるようになったとされております。

淡い紫色の美しい花を咲かせますが、桐の樹高は10メートル以上に達し、花は高い梢の先に釣鐘状の房のように上向きに咲くので、残念ながらあまり人目につきません。
盛夏を迎える頃には、卵型・方錐型の実を結びます。そしてこの時期、不思議なことに翌年の春に咲く花の蕾も既につけているそうで、そこに「結花」の深い意味があるという指摘もあります。

桐の原産は中国大陸と言われ、一般的な桐には種類がありまして、日本で見られる白桐とは別に、アオイ科の青桐(あおぎり)があります。
中国では、青桐の方を指して、伝統的に神聖な樹木とみなされ、中国の神話に登場する霊鳥「鳳凰」は桐の木にだけ宿るとされます。

そうした経緯もあり、日本の古典文学、清少納言の『枕草子』の第三十七段、「木の花は」で始まる一節には、桐に係る以下の表現が出てまいります。

「桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことき)どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、選りてこれのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音の出でくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。」

意味としては、「桐の花が紫に咲いているのは、やはり風情があり、葉の広がる様子は大袈裟な感じがするけれども、また、他の木々と同列に並べて論ずべきではない。
中国では、物々しい名前がついた鳥、即ち鳳凰が、選んでこの桐の木だけに栖むというのは、格別な感じがする。
まして桐から琴を作って、そこから様々な音色が出て来ることなどは、趣深いなどと世間並みの言葉で言い表せようか。たいそう素晴らしいことである。」

日本では、平安京に遷都後、桓武天皇の次男である嵯峨天皇によって桐花紋が創られ、中国の故事に倣って聖天子の象徴とされましたが、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、後鳥羽上皇が菊を愛でられ、菊紋を用いたことが天皇家に代々受け継がれていきました。

室町幕府では小判に刻印され、そうした経緯から、皇室では菊紋を正紋として、桐花紋は副紋として用いられておりますが、日本政府も勲章の意匠に取り入れているほか、パスポートでは表紙には菊紋、写真のページには桐花紋を使用しております。また、身近なところでは500円玉の裏側の絵柄にも用いられています。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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日本画の世界では、桐の花を単体で描いたものもありますが、中国の神話に基づいて青桐と鳳凰の組合せを画題にして描いたものが幾つか見られます。
江戸時代初期に活躍した狩野探幽(かのう たんゆう)には『桐鳳凰図屏風』という作品があります。

狩野派(かのうは)は、室町時代、足利将軍の下、室町幕府の御用絵師として活躍した正信・元信に始まりますが、祖父・元信から直接薫陶を受けた天才絵師・永徳は、織田信長、豊臣秀吉に気に入られ、壮大なスケールの豪放な画風を確立して激動の時代を駆け抜けました。

探幽は、永徳の次男・孝信の子として京都に生まれ、永徳の再来と絶賛され、16歳にして徳川幕府の御用絵師となり、徳川家の絵画制作に従事し、晩年まで精力的に活躍しました。
江戸時代の狩野派全盛の基礎を固めた人物であり、軽みがあって淡麗な江戸狩野の画風を確立し、その後、狩野派は徳川家代々の御用絵師としての地位を築いて明治に至るまで日本画の名門として存在感を示しました。

『桐鳳凰図屛風』は、四代将軍・徳川家綱の婚礼のために制作された可能性が指摘されており、六曲一双の屏風にて、総金地を背景にして晴れやかで慶事にふさわしいモチーフの作品です。
左隻には、桐の木を背景に一つがいの白い羽毛の鳳凰が描かれ、一方は宙を舞っていながら親密に視線を交わしている様子が躍動感を持って表現されており、右隻には、やはり桐の木を背景にして雛鳥を挟んで向き合う一つがいの鳳凰が五色絢爛な美しい羽毛の姿で描かれておりまして、夫婦や親子の仲睦まじい姿を象徴的に表しております。

桐の木は、日本国内でとれる木材としては最も軽く、湿気を通さず、割れや狂いが少ないことから、桐箪笥をはじめ、箏(こと)や下駄を含めて、高級木材として知られております。
桐は、タンニンなど虫が嫌う成分を多く含んでいるため、防虫効果も高いと言われており、高温多湿で虫の多い日本の気候風土の下で、特に価値のある生活資材とされてきました。

その上、火気にも強く、着火温度は400度以上と極めて高く、燃えにくい木材として、江戸で大火が頻発するようになった江戸時代から特に重宝されるようになりました。
また、桐はとても成長が速く、例えば杉は樹齢80年くらい経たないと実用できるまでには育たないのに対して、桐は樹齢15~20年くらいで実用に供することができます。

そこで、日本では昔から、女の子が生まれると桐を植えて、結婚するときに桐箪笥を作って嫁入り道具にして持たせるという習慣があったと言われております。
実際のところ、江戸時代、貝原益軒が著した『大和本草』では、「女子ノ初生ニ桐ノ子ヲウフレバ、嫁スル時其装具ノ櫃材トナル」とあり、立派な箪笥とはいかないまでも、「櫃」、すなわち衣類や寝具を収納する長持くらいはできたようです。一方、伐採後数年は天日干しが必要なことから、実際には高価な桐を売って嫁入り道具を買ったとの見方もあります。

古典俳諧の世界では、江戸時代の三大俳人の一人、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉には、「桐の木」を詠んだ次の句があります。

 「桐の木に 鶉鳴くなる 塀の内」      松尾芭蕉

情景としては、立派な屋敷を囲んでいる高い塀よりも、ずっと高く大きな桐の木が目に入るが、その屋敷の塀の中からは、姿は見えない鶉(うずら)の鳴き声が聞こえてくる、というところです。
桐の木も富の象徴の一つでありますが、鶉も鳴き声を楽しむために愛玩用に飼われていて食用ではないようであり、目の前の御屋敷がかなり裕福な持ち主の住み家であることが推察されます。

高温多湿な日本において貴重な桐の存在に感謝し、他の樹木より成長速度が速く、力強く育っていく桐の勢いを見習って、私たちも人として、日々手応えを感じながら確実に成長できるように、スピードを重視して、ポジティブな姿勢を大切にして、暮らしていきたいものです。

「雑節」としての「土用」は、立春・立夏・立秋・立冬の前のおよそ18日間を指し、季節が変わる前の期間を意味しておりますが、今日では「土用」といえば、立秋前の「夏の土用」を思い浮かべる人が多く、土用の期間中の丑の日である「土用の丑の日」が一番注目されております。

今年の「夏の土用」の「丑の日」は、7月19日と31日と2回あります。
「土用の丑の日」といえば「うなぎ」に結びつきます。

経緯は江戸時代に遡って種々あるようですが、うなぎに豊富に含まれるビタミンA群・B群には、疲労回復や食欲増進などの効果があり、夏を乗り切るための食物としてよく知られております。
「土用うなぎ」以外にも、「土用しじみ」は、オルニチンなど肝機能を高める栄養素が豊富に含まれており、特に夏には産卵前のため栄養価が高いそうで、お手頃でもあり、おすすめのようです。

今年も、地域によっては、梅雨明け以降、猛暑日が連日続くなど、身体には負担のかかる時季がしばらく続きますが、厳しい時節を乗り越えて、是非、健康増進とリフレッシュとを両立しながら、自分自身の日々の生活を大切にして充実させていきたいものです。

これからの時季は、暑さが厳しくなる中にあっても、風鈴、打ち水、朝顔、花火、蝉時雨など、日本ならではの夏の風物詩を楽しみながら、冷やしそうめん、スイカ、かき氷、麦茶などの食文化も含めて、生活に涼を積極的に取り入れて、厳しい「盛夏」の長丁場を乗り切っていきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第33候>鷹乃学習(たか すなわちわざをならう / たか すなわちがくしゅうす)7月17日は、七十二候では33候、小暑の末候、『鷹乃学習(たか すなわちわざをならう / たか すなわちがくしゅうす)』の始...
16/07/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第33候>

鷹乃学習(たか すなわちわざをならう / たか すなわちがくしゅうす)

7月17日は、七十二候では33候、小暑の末候、『鷹乃学習(たか すなわちわざをならう / たか すなわちがくしゅうす)』の始期です。
鷹の子が巣立ちの時を迎え、空中での飛び方や獲物の狩りの仕方を学び始める頃。

『小暑』の節気では、初侯(31候)は「温風」、立春・1候の「東風」と立秋・37候の「涼風」の間にあって、夏の熱気を帯びた南風が吹き始めました。
次候(32候)では「蓮の花」が優雅に静かに花開き、清澄な「蓮見」の情景に、時空を超えた東洋的な世界が広がるように感じられ、夏の華として格別な存在感を示しています。

そして、この末候では「鷹の子」が登場し、夏も深まるこの季節、逞しく生きていくための飛翔・滑空及び狩り・捕食の技の学びと習得に勤しみます。
春の節気、『清明』の「燕」と「雁」に続いて、久々の鳥シリーズながら、唯一の夏の鳥であり、次は秋の節気、『白露』の「鶺鴒(せきれい)」へと繋いでいきます。

「鷹」は、俳句の世界では冬の季語であり、立派に生育した成鳥の姿が冬景色に映えるようです。
古典俳諧においては、松尾芭蕉には、「笈の小文」の中で、愛弟子の杜国との無事の再会を喜び合った際に、伊良古(いらご)崎(現在の伊良湖岬)を訪れて詠んだ句があります。

 「鷹一つ 見付てうれし いらご崎」     松尾芭蕉
 「夢よりも 現の鷹ぞ たのもしき」     松尾芭蕉

日本では古今、鷹と言えば、日本に生息する猛禽類の中で食物連鎖の頂点に立つ「大鷹(おおたか)」を指すのが一般的です。
南西・南方諸島を除く日本全域に分布しており、平地から山岳地帯にまで生息し、山地の森林や里山の森などで繁殖します。全長は約50~60cm、翼開長は約100~130cmに達します。

「鷹(たか)」の語源は、「猛(たけ)き鳥」や「高く飛ぶ鳥」など諸説ありますが、気高く大空を雄大に舞う姿から、古来より尊厳ある生き物とされてきました。
そして、「習」という漢字には、まさに、雛鳥が羽を広げてはばたかせ、飛ぶ練習をする意味が含まれています。

鷹は、求愛期が1~3月に始まり、産卵は4~5月頃、抱卵期は約35~40日間、孵化は1ヶ月以上経った5~6月で、巣立ちは更に約40日間かかり、7月頃となります。
ちょうど今頃からが巣立った鷹の学びの時で、巣の外に出て飛び方を覚え、少しずつ行動範囲を拡げ、時間をかけて親鳥から狩りを学んでいき、8~9月に漸く親から離れて独立していきます。

鷹は、群れずに単独で果敢に狩りをして獲物を捕らえて生きていくという宿命と習性を背負って、この世に生まれてきます。
したがって、他の鳥のように飛び方を学ぶだけではなく、独りで獲物を探して捕えることを覚えなければ、生き抜いていくことは出来ません。

その為に、鷹は、優れた飛翔能力を有しており、空中を自由自在に飛び回ることができますし、あらゆる状況に対処しながら飛ぶ技術を持っています。
獲物を捕える時のスピードは、最高では水平飛行では時速80キロ、急降下では実に130キロにも達すると言われます。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
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日本画の世界では、花鳥画の題材として、勇ましい鷹の姿は古来、多くの絵師や画家に描かれてきました。
鎌倉時代以降は、時に武勇や権力の象徴として、また縁起の良い画題として、松などの枝にとまった姿、獲物を追って飛翔する姿など、鷹を単独で描く「鷹図」が数多く制作されました。

室町時代には、五山文学の中で禅僧たちによる画賛なども認められ、江戸時代には、画壇の中心に位置する狩野派に加えて、雪舟等楊の雪舟流、雪村周継を代表とする雪村流、曽我直庵を代表とする曽我派など、多くの流派が「鷹図」を描いており、職業絵師だけでなく、武人画家と言われる大名・武家も多くの作品を残しております。

常陸の国(今の茨城県)の武家出身の禅僧画家である、雪村周継には「松鷹図」があります。上部には松の枝葉が広がり、太い松の幹の上、眼光鋭く周囲を伺っている勇猛果敢な一羽の鷹の姿が描かれております。
鷹の肖像画とも言える重要文化財の紙本墨画からは、猛猛しい武勇の様相だけではなく、鷹の研ぎ澄まされた心境、孤高の精神性のようなものも伝わってくるようです。

鷹は、「能ある鷹は爪を隠す」とも言われますが、知能指数が高いことでも知られ、学習能力が高く、また忍耐力も持ち合わせております。
親から細かく手ほどきを受けなくても、その本能や習性の下、失敗も繰り返しながらも、自ら試行錯誤を重ねながら学んで、一人前の鷹へと成長を遂げ、「独り立ち」をしていきます。

人の世でも生きていくには学習することが重要ですが、近年では、人生100年時代、生涯学習やリカレント教育の重要性も指摘されており、成長に従って学び続けることが大切です。
学ぶということが生き抜く為の前提となっている鷹の生涯にも想いを致し、私たちもしっかりと子供達や若い人の学びをサポートし、また自らも意欲的に学び続けていきたいと思う次第です。

また最近では、進化したテクノロジーが人の労働を代替する流れもあり、成長産業への労働移動の必要性が意識される中、時代を生き抜くため、リスキリングの重要性が指摘されております。
リスキリングとは、新しいことを学び、新しいスキルを身につけて実践するだけでなく、新しい業務や職業に就くことまでを含めた概念であり、企業にとっても個人としても、新たな課題です。

さらに、仕事や職業を離れても、今は大きな時代変化の流れやうねりが現れつつあるという指摘もあり、生き抜いていくためには、地球規模で起きている事象及び政治・社会・経済・文化の動きに目を向けて、しっかりと情報を吟味して考察し、古今東西の人類の歴史から多くを学んで、有用な知識や優れた知恵を身につけて、適正な世界観と歴史観を養っていくこと、その重要性が益々高まってきていると感じます。

生きていくためには学ぶ必要があることを決して忘れず、学び直しやアンラーニングも含めまして、生きるということは学び続けることであると改めて肝に銘じ、鷹のように失敗から学ぶ姿勢を大切にして、日々、謙虚な気持ちを持って、何事にも粘り強く取り組んで、充実した歳月を積み重ねていきたいものです。

毎年、この時季には改めて何を学ぶべきかを問い直して自己点検し、夏季休暇中も含めて課題を新たに設定して、アクティブに取り組んでいくように努めましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第32候>蓮始開(はす はじめてひらく)7月12日からは、七十二候では32候、小暑の次候、『蓮始開(はす はじめてひらく)』の始期です。蓮(はす)がゆっくりと蕾を開いて、優美で清らかな花を咲かせ始める頃。...
11/07/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第32候>
蓮始開(はす はじめてひらく)

7月12日からは、七十二候では32候、小暑の次候、『蓮始開(はす はじめてひらく)』の始期です。
蓮(はす)がゆっくりと蕾を開いて、優美で清らかな花を咲かせ始める頃。

『小暑』の節気では、初候は「温風(あつかぜ)」、久々に気象や気候がテーマに取り上げられ、夏の熱気をはらんだ南風が吹き始めた後、この次候では、夏の花として、『夏至』の次候「花菖蒲」に続いて、「蓮」が大輪の花を開いて、静謐な情景が眼前に広がります。
そして、末候にて「鷹」の子が飛翔に向けて羽ばたきの音を鳴らす頃、例年では梅雨に終止符が打たれ、いよいよ本格的な夏の暑さが到来します。

蓮は、最も古い植物の一つのようで、およそ1億4000万年前には既に地球上に存在していたと言われており、インド・中国・オーストラリア・日本など、温帯から熱帯までの地域の湿地に広く分布する水生植物であります。

「蓮」という漢字は、連なって多くの実や種子をつけることから、「連」に「草冠(くさかんむり)」を合わせて出来上がっていますが、池や沼の泥底から、長い柄を伸ばして水面から円い葉を広げて、花茎を水上に伸ばし、紅・白・淡紅など大きくて美しい花を咲かせます。

「はす」という和名の方は、花中央にできる黄色い花托(かたく)の形が、たくさんの穴が開いていて蜂の巣に似ていることから、万葉の時代より「はちす」と呼ばれたことに由来し、それが「はす」と呼ばれるようになったと言われております。
「水芙蓉(すいふよう、みずふよう)」「不語仙(ふごせん)」「池見草(いけみぐさ)」「水の花(みずのはな)」などの別名も知られています。

蓮の生命力は驚異的であり、日本でも約2000年前の地層から発掘された蓮の実から発芽・開花した例などがあります。
弥生時代から悠久の時を超えて発芽・開花した蓮は、「古代蓮」と呼ばれて、「大賀蓮」「行田蓮」などとして、全国各地に広がって育てられています。

仏教においては、泥水の中に生まれながら汚れなく清らかに咲く蓮は、天上の花、聖なる花であり、仏様の智慧や慈悲の象徴とされ、「清浄無比の花」として尊ばれています。
「蓮は泥(でい)より出でて泥に染まらず」とも言われ、「俗世にあって俗世にまみれず」の象徴として、泥の中から出て優雅な花を咲かせる清らかな崇高なたたずまいに、古人は極楽浄土の姿を見ました。

蓮の花は、仏典には「蓮華(れんげ)」として登場し、「蓮華座」として仏像の台座によく使われています。
「一蓮托生」という言葉は、もとは仏教語で、善い行いをした者は、死後は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花の上に身を託して生まれ変わることを表していました。
それが今では、転じて、事の良し悪しにかかわらず、仲間として行動や運命を共にすることを表現する際に使われるようになったということのようです。

蓮は、仏教だけでなく、ヒンドゥー教や密教でも、象徴性を有する特別な花として登場し、大切にされてきました。
蓮は、インド・スリランカ・ベトナムでは、国花とされております。

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蓮の花を愛でる習慣は、アジアから世界中に拡がっており、現代においても様々な絵画や作品に好んで描かれ続けております。
日本画の世界からは、明治末から昭和にかけて活躍した日本画家・木版画の下絵師、小原古邨(おはら こそん)の作品を紹介したいと思います。

小原古邨は、日本での知名度はそれほどでもありませんが、東京美術学校や東京帝国大学で講師をしていた米国人・フェノロサの指導を受け、花鳥画への造詣を深めていき、ニューヨークでの展覧会を機に、米国やドイツなど主に海外に向けて制作活動を続け、鳥をはじめ様々な生き物や植物を描いた作品が数多く残されております。

従来の浮世絵を踏襲しつつ、「新版画」という進化した画法で描いた古邨の絵は、木版画とは思えない柔らかく淡い色彩を特徴としており、様々な画題を独特の構図で取り上げた画風から近代絵画としての要素も持ち合わせており、近年、日本でも急速に注目されて人気が高まっているところです。

『蓮の花と雀』では、上部に大きな一枚の蓮の葉と蓮の花の蕾・開花が丹念に描かれており、蓮の茎に降り立って停まった雀、蓮の葉から下に一筋に零れ落ちる水滴のコントラストが効いた印象的な構図です。
『蓮の花そして蛙とおたまじゃくし』は、蓮の花は蕾・開花・朽ちる姿と三様の姿が描かれ、水中を泳ぐおたまじゃくし、成長して蓮の葉に登らんとする蛙が合わさり、一枚の絵に生命の在り様が同時に表現されております。

最後に『蓮の花とカワセミ』については、白蓮の花が今を盛りと咲き誇る下に、蓮の葉が朽ち枯れて茎がちょうど折れ曲がり、それを止まり木のようにしてカワセミが静かに佇んでいる情景です。
カワセミの下には白蓮の蕾や若い葉も伸びてきており、やはり在りのままの自然の様相がそこにはあり、限られた時間の中で精一杯に生きる生命の一瞬の姿が切り取られているようです。
古邨の絵からは、鳥などの生き物や植物など、描いたそれぞれの命を慈しむ心が伝わってくると同時に、絵全体には静謐が感じられ、その世界観に海外の人も日本人も魅了されるように感じます。

古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「蓮」を詠んだ句を2句ずつ紹介したいと思います。

 「蓮の香を 目にかよはすや 面の鼻」    松尾芭蕉
 「雨の矢に 蓮を射る蘆 戦へり」      松尾芭蕉

 「蓮の香や 水をはなるる 茎二寸」     与謝蕪村
 「刺鯖も 蓮の台に 法の道」        与謝蕪村

 「池の蓮 金色に咲く 欲はなし」      小林一茶
 「咲花も 此世の蓮は まがりけり」     小林一茶

蓮は、泥水が濃ければ濃いほど、大輪の花を咲かせます。きれいな水では蓮は小さな花しか咲かせません。
蓮の花が泥水からしか立上ってこないように、人生も「泥」があってこそ美しい「花」を咲かせられると言われます。

苦難があってこそ得ることのできる幸せ、蓮の花には、そのような象徴的な意味合いも含まれています。
「艱難汝を玉にす」という諺があります。敢えて「艱難辛苦」に向き合い、自らを磨いて、将来を切り拓いていきたいものです。
人生もビジネスも、時に困難とも対峙していく必要がありますが、清らかな心を心掛けて、将来に大輪の花を咲かせられるように尽力していくことが大切です。

今年も早くも半年が過ぎましたが、国際情勢も世界経済は波乱の展開が続いており、引き続き、先行きの見通しにくい世の中です。

「朝の来ない夜はない」、あるいは「夜明け前が一番暗い」と言われます。
前者は作家・吉川英治の座右の銘であり、後者は英語の古いことわざであるそうです。

 「大紅蓮 大白蓮の 夜明けかな」      高浜虚子

暫くは先行き不透明な情勢に対峙しつつも、ここは、明治・大正・昭和の三代に亘って活躍した俳人・小説家の高浜虚子の壮大な句にあやかって、夜明けを迎える際には、是非、「大紅蓮(だいぐれん)」、そして「大白蓮(だいびゃくれん)」の「華」が優美に咲き誇る世界を実現していきたいと思う次第です。

【七十二候だより by 久栄社】 <第31候>温風至(あつかぜ いたる)7月7日から、二十四節気は『小暑』、平年ではそろそろ梅雨が明けて、本格的な暑い夏が到来する少し前の頃合いです。日射しが強まり、気温も一段と上がり、蝉も鳴き始めて、正に本...
06/07/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第31候>
温風至(あつかぜ いたる)

7月7日から、二十四節気は『小暑』、平年ではそろそろ梅雨が明けて、本格的な暑い夏が到来する少し前の頃合いです。
日射しが強まり、気温も一段と上がり、蝉も鳴き始めて、正に本格的に暑い盛夏となる次の『大暑』へと繋がっていく時季です。

七十二候では31候、小暑の初候、『温風至(あつかぜ いたる)』の始期です。
梅雨明けの空に、熱気をはらんだ南風が吹き始める頃。そして、日に日に気温が上昇して、夏の暑さが増してくる頃。

『小暑』の節気は、初侯の「温風」にて、『立春』の1候の「東風」以来5ヶ月ぶりに、季節を表す風が主題となります。
春の節気には、雷や虹など自然現象に関わるテーマが続きましたが、夏の節気に入ってからは、多種多様な生き物、季節の食材も含めた植物が、切れ目なく次々と登場して、季節の進展を告げてきており、実は、「晩夏」に入って、この31候にて、夏としては最初の自然現象のテーマ登場となります。

『小暑』は、初候の「温風」で気象や気候を表した後は、次候は「蓮」の花、末候は「鷹」の子と、再び夏らしい植物や生き物の活動が続いていきます。

「温風」は、梅雨明けの頃に吹く温かい南風のことのようです。西日本を中心にして、古くから、南方より吹いてくる湿った風のことを「南風(はえ)」と称します。
もともと漁師や船乗りの間で使われていた表現ですが、強い南風は天候の変化の兆候であり、不漁とも結びついて、歓迎されない風だったようです。
特に梅雨の半ばに吹く強い南風を「荒南風(あらはえ)」といい、雷雲も発生させて強い雨を降らせるので、漁師や船乗りに限らず、日本列島全域にて、土砂災害などにも強い警戒が必要な時期です。

一方、梅雨入りから梅雨を通じて吹く、黒雲を運ぶような湿気の多い風を「黒南風(くろはえ)」と呼ぶのに対して、梅雨明けに、雨風が一掃された青空の下に吹く、少し爽やかな風を「白南風(しろはえ)」と呼びます。
「黒南風」は、黒く重い雨雲を背景にして、「白南風」は白く浮かぶ巻雲や巻層雲を背景にした情景を表し、本当は無色透明の風のはずなのに、色彩を使って風を表現する日本人の豊かな感性には、改めて感心してしまいます。

梅雨時のどんよりした暗さと梅雨明けの夏の明るさ、そのコントラストの効いた表現ですが、いずれも俳句では夏の季語として良く使われるようです。
実際、「荒南風」「黒南風」「白南風」は、俳諧師の越谷吾山によって編纂された江戸時代後期の全国方言辞典、『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』にも出ているようです。

明治時代になりますが、文豪・芥川龍之介は、次の俳句を詠んでおります。

 「白南風の 夕浪高う なりにけり」    芥川龍之介

古典俳諧の世界では、「温風」や「南風」を詠んだ句はあまり見当たりませんが、三大俳人のひとり、小林一茶には、次の俳句がありました。

 「草葉より 暑い風吹く 座敷哉」     小林一茶

東日本では、南風は「みなみ」と略して呼ばれていたようで、「大南風(おおみなみ)」とは、太鼓の乱れ打ちの如くに烈しく吹く南風のことを指すそうです。

日本には、一説には2145の風の名前があるそうで、日本人は、風の吹き方だけでなく、周囲の情景や人の心理とも結びつけて、四季折々の風を多彩に命名してきました。

風に関する文献・書籍にもいろいろありますが、ライアル・ワトソンの『風の博物誌』は20世紀の文献ですが、風に関する古今東西の自然現象を幅広く取り扱っていて、圧巻です。
原題は『HEAVEN'S BREATH』、巻末には、世界中の約400の風の辞典が掲載されております。日本の風についても、マニアックと感じるくらい、数多く取り上げられています。

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7月7日は、五節句の一つに数えられる「七夕(たなばた・しちせき)」です。別名を「笹の節供」や「星祭り」とも呼ばれます。
奈良平安時代に中国から伝来し、元々の日本の伝承と融合して、古くから宮中や貴族社会で七夕行事が行われるようになりました。
江戸時代には、一般庶民にも年中行事として普及し、時代を越えて受け継がれ、現在の七夕祭りや七夕の笹飾りとして親しまれていますね。

現在の7月7日は梅雨明け前で雨も多い頃合いですが、旧暦の7月7日は梅雨も明けて星空がきれいな時季になります。
全国で開催される七夕祭りも、7月上旬から8月上旬まで、開催時期はいくつかのパターンにわかれております。

俳句の世界でも、七夕」は秋の季語となります。江戸時代の三大俳人、俳聖といわれる松尾芭蕉には、旧暦ながら雨の七夕を詠んだ以下の俳句があります。

 「七夕の 逢わぬ心や 雨中天」      松尾芭蕉

芭蕉は、本来、天の川を渡って織姫・彦星の二人は会えて「有頂天」のはずなのに、あいにくの雨で天の川の水かさが増して会えず、残念な気持ちを「雨中天」という造語にて表現しています。
芭蕉の俳句の世界の奥行きや広がりのようなものを感じる、なかなか洒落た俳句かと思います。

日本画の世界では、「七夕」の風景は、近世、江戸時代の浮世絵に取り上げられており、三代目豊国から国貞・広重に至るまで、歌川派の絵師たちに数多く描かれております。
近代では、大正ロマンを代表する画家の竹久夢二が活躍し、独特な美意識に基づいて抒情的な作品を描き、数多くの美人画を残しておりますが、「七夕」も夢二の好んだ画題でした。

七夕の笹飾りを背景にして、短冊を前に綴るべき願い事について物思いに耽る女性の横顔を印象的に描いた『七夕』は、デフォルメが効いており、提灯を七夕飾りの笹に取りつけようとしている和装女性の後ろ姿が美しい『星まつり』では、夢二らしく、アールデコ調のデザインが特徴的です。

二曲一隻の屏風にて左寄りに、装いと仄かな色気も漂う様相から芸妓と思われる女性の立ち姿が描かれた『七夕図屏風』では、笹飾りに短冊などを順に下げていく様子の描写は、割と写実的で丁寧かつ繊細なタッチであり、右側の余白も効果的な構図になっております。

『小暑』から『大暑』までの間の2節気を「暑中」と言い、「暑中見舞い」の時季は、『小暑』の梅雨明けから『立秋』の前日(今年は8月6日)までとされます。
梅雨明け後は、雷雲が発生しやすく、突然の雷雨や大雨などもあり、また、強い日射しを受けて、気温が一気に挙がる日もあり、体調への影響など注意が必要な時季でもあります。

例年、早めに季節に合った絵葉書や便箋を用意しておいて、梅雨が明け、暑くなった頃合いに「盛夏」として筆をとり、相手を気遣う心が自然と伝わる「暑中見舞い」を出すのがお奨めです。
全国の郵便局では、暑中見舞いや残暑見舞いに向けて、既に6月2日から夏用はがきが販売されておりますが、今年は「風鈴」の意匠にて夏雲を背景に3つの風鈴が風に揺れているデザインです。

毎年、太陽が照りつける時分を見計らって出状したいものですが、今年は、梅雨明けが平年よりかなり前倒しで記録的に早くなる傾向にある中、既に暑く厳しい夏が続いております。
3ヶ月予想などでも、全国的に平均気温が平年より高くなる予想が出ており、長い夏となる中、暦通り「暑中」を通じて、どのタイミングでも「見舞い」にふさわしいのではないかと感じます。

毎年ながら、嘗ての恩師や古くからの友人など、簡単には会えない人などに宛てて、年に一度、心を込めて手書きで文をしたためてみるのも、宜しいかと存じます。

さて、『小暑』を迎えた時節は、暮らしのすべてが、夏仕様へと移り変わっていく頃合いのようです。

夏場の涼しげな洋服や浴衣はもちろん、季節の食材や料理に加えて食器類も含めて、また、お部屋のファブリックなどインテリアによる模様替えにも、気を配り、衣食住のあらゆるものが夏向きに変わるのを意識して、快適な夏の暮らしの準備と演出を心掛けて、楽しみながら前向きに工夫していきましょう。

夏休みのご予定についても、家族に相談したり、友人や知人に連絡をとったりして、各々の事情に応じて、今年なりの充実したプランを具体化していきたいものです。
例年よりかなり長い夏となりそうですが、ぜひ有意義な時間としていきましょう。

06/07/2025

おかげさまで創業75周年

日頃より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
2025年、セントラルプロフィックスは創業75年を迎えました。
これもひとえに、皆様のお力添えとご愛顧の賜物であると、深く感謝申し上げます。

当社は、1950年の創業以来、お客様のお求めになる品質にしっかりお応えできますよう、技術や設備を磨いてまいりました。
創業以来変わらず、大切にしてきたのは最高峰の品質やサービスのご提供です。
これからも皆さまのお役に立てる商品とサービスをお届けしてまいります。

06/07/2025
【七十二候だより by 久栄社】 <第30候>半夏生(はんげしょうず)7月1日からは、七十二候では30候、夏至の末候、『半夏生(はんげしょうず)』の始期です。「半夏(はんげ)」が生えてくる頃、または、「半夏生」の名を持つ草の葉が白く染まる頃...
30/06/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第30候>

半夏生(はんげしょうず)

7月1日からは、七十二候では30候、夏至の末候、『半夏生(はんげしょうず)』の始期です。
「半夏(はんげ)」が生えてくる頃、または、「半夏生」の名を持つ草の葉が白く染まる頃。

『夏至』の節気は、梅雨の時期にあって、3候が全て植物という展開となっており、初候の「乃東(なつかれくさ)」が『夏至』という暦の節目を告げる役割を担い、次候の「菖蒲」が梅雨の季節を代表する花として凛とした佇まいを見せた後、末候では「半夏」や「半夏生」という特色ある草の登場となります。
「半夏」の方は独特の不思議な形の容姿で、「半夏生」の方は花を咲かせながら葉の半分が白くなる姿で、いずれも人目を惹きつけます。

「半夏生 (はんげしょう)」は、七十二候では、「半夏」または「半夏生」と呼ばれる特徴的な植物に由来する、『夏至』の終盤の時候であると共に、雑節、即ち、農作業に照らし合わせて作られた暦日としても、意味を持つ存在として定着しており、稲作の作業の一つの節目を知らせる頃合いとして、採用されております。

「半夏」とは、サトイモ科の「烏柄杓(からすびじゃく)」の別名で、ちょうど「半夏」の「生」える時季だから「半夏生」というのが始まりとされます。
七十二候としては、本来的にこちらに由来するという考え方が有力なようです。

「半夏」は「狐のろうそく」「蛇の枕」とも呼ばれており、蛇が鎌首をもたげながら舌を出しているような、ひょろっとしてユニークな形をしております。
塊茎部分は漢方・生薬の「半夏」として、体を温めながら停滞しているものを動かして発散する働きがあり、鎮静・鎮吐・鎮咳・去痰などに使われます。

一方、この時季、「半夏」とは別に、「半夏生」という呼び名の植物が、花を咲かせる時季であり、ちょうど一部の葉の下半分が白く変わる頃合いです。
「半夏生」はドクダミ科の多年草で、水辺や低湿地に生え、和名では「方白草(かたしろくさ)」という分りやすい表現で呼ばれています。

「半夏生」の名前の由来は、葉の半分がおしろいを塗ったように白くなって「半化粧」となるからなど、幾つかの説があります。
独特の匂いも漂わせながら、その葉が白く変わるのは、受粉を仲介してくれる虫を集めるためであると言われています。

雑節の「半夏生」は、『夏至』の日から数えて11日目とされてきましたが、今では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日とされており、梅雨明けも間近の頃合いである「半夏生」は、田植えを終わらせて農家が一休みする時期の目安とされてきました。

田植えは「夏至の後、半夏生に入る前」に終わらせるべきものとされており、それを過ぎると秋の実りが減ると言われてきました。
「半夏半作」という言葉があり、この日以降に田植えをしても、実りが遅れて収穫量は半分しかないとされます。
昔から、日本各地には、田植えの重労働を終えたこの時期に特徴的な様々な食文化や習慣が伝わっております。

食文化については、関西地方を中心に、豊作を祈って蛸(タコ)を食べる習慣があるようです。
田植えを終えた農家が、稲などの植えた作物が蛸の八本足や吸盤のように大地にしっかりと根を張ることを祈願して、神様に蛸をお供えしたことに由来するようです。

また、奈良など近畿地方の一部では、収穫した小麦で「半夏生餅」を作って田の神に供えるようです。
香川では讃岐のうどん、福井では大野市の鯖(サバ)など、地域によって、いろいろなものを食べる習慣が「半夏生」の頃には伝わっているようです。

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また、この頃に降る雨を「半夏雨(はんげあめ)」と言い、梅雨の季節も後半となり、例年、大雨や豪雨になることも多くなります。
地域によっては「半夏水(はんげみず)」という呼び方もあり、河川の氾濫などの災害を警戒してきたようです。

食文化も物忌みも、大雨への警告も、田植えで疲れた体を休め、疲労回復を図り、生活を防衛するための先人達の知恵であると言えます。
時節柄、私たちも、衛生管理に気をつけて梅雨を乗りきり、また梅雨明けや暑い夏の到来に向けて、しっかりと体調を整えていくことが大切です。

梅雨明けについては、今年は、既に沖縄地方は6月8日に平年より13日早く、奄美大島は19日に平年より10日早く、明けたとお伝えしておりましたが、その後、6月27日に九州・四国・中国・近畿が平年より18~22日早く明けており、平年は7月中旬・下旬の東海・関東甲信・北陸・東北も7月上旬に明けることが予想されており、やはり、最終的に全国的に見ても、平年よりかなり早い梅雨明けとなりそうです。

とはいえ、「半夏雨」「半夏水」の教訓も踏まえて、梅雨後半の大雨、更には梅雨明け後も線状降水帯や台風による豪雨への警戒は必要です。
今年はまた、6月から全国的に気温が上昇し、各地で真夏日や猛暑日の記録を更新するなど、熱中症対策が必要となるような日々が続いております。
蒸し暑さと日中の高温を意識して、衛生管理や体調管理を意識する必要性が高い時期を迎えております。

今年も、改めてこれから2ヶ月程度を展望しつつ、食生活に気を配り、充分に栄養を摂って、運動も心掛けて、体力をつけて、また良質な睡眠によって、気力を増して、良好な体調を守ることを最優先にしながらも、節電にも多少気を配って、長丁場が予想されるチャレンジングな夏本番を元気に乗り切って、楽しく活動していきたいと思う次第です。

日本画の世界では、上村松園・片岡球子と並んで日本を代表する女性画家と言われる、小倉遊亀(おぐらゆき)の木版画作品「半夏生」がございます。
小倉遊亀は、安田靫彦に師事し、日本美術院で活躍、女性として初の日本美術院理事長になるなど女性日本画家として第一線を走り続け、105歳の没年まで絵筆を執り続けました。

「半夏生」は、左に花瓶、右に方白草という構図であり、花瓶は絵柄のある胴が太い一方で口は細いのが特徴的であり、方白草の方は白い花穂に近い葉の表面が白く描かれております。
画家の百寿記念として描かれ、独創的な構図が印象的ですが、人の造った花瓶は光の陰陽により立体感があり、自然の風景から切り採られてきた方白草は奥行きを持って描かれ白い葉の明るさが目を惹きつけます。

俳句の世界では、工学博士・鉱山学者でもあり、俳句は高浜虚子に師事して主に昭和に活躍した現代の俳人、山口青邨の句を紹介して結びとします。

 「半夏生 葉を白く染め 梅雨上がる」     山口青邨

梅雨上がりの一つの情景として、「方白草(かたしろくさ)」の葉がまるで雨露によって「半化粧」したように白く光っている姿が眼前に浮かんできます。
厳しい季節を迎えますが、心の持ち様次第で変わるところもあります。風情のある景色に目を向けて、心豊かに暮らしていきたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第29候>菖蒲華(あやめ はなさく)6月26日から、七十二候では29候、夏至の次候、『菖蒲華(あやめ はなさく)』の始期です。花菖蒲(はなしょうぶ)の凛々しく洗練された花が美しく咲く頃。「菖蒲(あやめ)」...
25/06/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第29候>
菖蒲華(あやめ はなさく)

6月26日から、七十二候では29候、夏至の次候、『菖蒲華(あやめ はなさく)』の始期です。
花菖蒲(はなしょうぶ)の凛々しく洗練された花が美しく咲く頃。

「菖蒲(あやめ)」という表現になってはおりますが、アヤメ科の花の中で、この時季に花を咲かせることが決め手となり、ここでは花菖蒲を指しております。
今回の「菖蒲」=花菖蒲は、『小満』の「紅花」に続く夏の花シリーズであり、次の『小暑』の「蓮」の前にあって、印象的な花姿と色合いはこの時季の情景に欠かせない存在です。

『夏至』の節気には3つの植物が登場しており、初候の「乃東(なつかれくさ)」は、『夏至』という暦の節目を知らせながら枯れて行き、末候の「半夏生」は、花を咲かせながら葉の半分が白くなり、雑節としても意味を持っていまして、両方の植物も、季節の中で特有の位置づけを有しております。
その独特な両植物に挟まれる中で、花として人の目を楽しませてくれる「菖蒲」=花菖蒲の美しさが一層、際立ってくるような感じがします。

花菖蒲は主に梅雨の時季に花を咲かせる植物であり、優雅な色彩と容姿で、ひときわ華やかに咲く花菖蒲の凛とした佇まいは、梅雨時の沈みがちな空気を一変させて、明るく艶やかな風景を現出し、人の心にも静かに迫ってくる程の存在感があります。

アヤメ科の御三家としては、アヤメ(菖蒲・文目)・ハナショウブ(花菖蒲)・カキツバタ(杜若)の三種があります。
今年も、三種の特徴と見分け方について、おさらいしましょう。

先ず、開花時期については、アヤメは5月上旬~中旬、カキツバタが5月中旬~下旬、ハナショウブは5月下旬~6月下旬という具合いです。
少しずつ重なりながら咲くので、5月の中下旬には「アヤメの遅咲き」「カキツバタの最盛期」「ハナショウブの極早咲き」が同時に見られ、まるで同じ種類の花が長い間咲いているように感じられることもあります。

比較的確実な見分け方としては、花びらの模様が挙げられます。アヤメは花弁の根元に大きな網目状の模様、これが「文目」の言われのようですが、それに対して、ハナショウブは花弁の根元に黄色い目形の模様、カキツバタは花弁の根元に白い細目形の模様があるのが一番の特徴です。
そして葉の形にも特徴があり、ハナショウブは葉の真ん中にくっきりと葉脈(筋)があり、アヤメは葉脈がなくて細長い葉、カキツバタは葉脈が目立たずに幅広い葉ということです。

生息場所についても、アヤメは陸上の乾燥地、ハナショウブは陸から水辺にかけての半乾湿地、カキツバタは水湿地と異なります。実際にはお互いに混ざり合うので、難しいところです。
背の高さとしては、アヤメは、30~60cmで一番低く、カキツバタが50~70cmで中間、ハナショウブは50~70cmと一番背が高いと言われており、花の大きさについては、アヤメが小輪、カキツバタが中輪、ハナショウブが大輪という感じです。

花菖蒲は、野生の「野花菖蒲」を原種として改良された国産の園芸植物であり、500年の歴史を持ち、江戸時代に品種の育成が進み、その数は2000種とも5000種とも言われております。
花の色は白・桃・紫・青・黄など多種多彩であり、花形も、3枚の弁が大きく目立つ三英咲き(さんえいざき)、6枚の弁が広がる六英咲き(ろくえいざき)、八重咲きなどがあります。

主な系統としては、変化に富んで多彩な「江戸系」、鉢植えで室内鑑賞向きに発展してきた「伊勢系」「肥後系」、原種の特徴を強く残している「長井古種」があります。
特に江戸では、江戸時代前期より大名屋敷などで花菖蒲の栽培が盛んになり、江戸中期には庶民の手にもわたり、様々な花色や花形の品種が育てられていきます。

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花菖蒲の栽培と鑑賞は、日本中に拡がり、北海道から九州まで各地の花菖蒲園では、5月から6月下旬にかけて、花菖蒲まつりなどが開かれます。
日本人の長年にわたる美意識や想いが反映され、独自に発展した花菖蒲は、古典園芸植物とも呼ばれ、日本の伝統園芸文化の代表と言えます。

日本画の世界でも、花菖蒲は浮世絵にも好んで描かれ、江戸時代末期に、初代の歌川広重が描いた『名所江戸百景 堀切の花菖蒲』などが有名です。
水辺を挟んで近景にある花姿と遠くに広がる菖蒲園と鑑賞に訪れた人々を描いていて、遠近のコントラストの利いた印象的な風景画です。

二代歌川広重は、『江戸名所東京四十八景』『東京三十六景』の中で「堀切花菖蒲」を取り上げており、小高く土を盛って作られた築山の茶屋から、広大に広がる菖蒲園を上から一望して鑑賞している風景を描いております。

三代歌川豊国には、花菖蒲を観察する『堀切菖蒲花盛図(はなざかりのず)』があり、3枚の続き絵として出版されており、それぞれに花を観賞する女性の姿が真ん中に描かれており、3枚並べることで風景が繋がり、3人の立ち姿の女性が花菖蒲と相俟って華やかです。

歌川国芳にも、『堀切名花 江戸の大菖蒲』という絵があり、菖蒲園を訪れた女性たちの立ち居振る舞いが躍動感を持って描かれております。
豊国の絵でも国芳の絵でも、描かれた女性たちの着物の色合いや柄は、意識的に花菖蒲に合わせたもののようであり、当時の人々の粋や風流が感じられます。

今は、ネットのデジタルアーカイブなどを利用して、様々な構図の浮世絵を気軽に観賞することができる良い時代です。

文学では、古典俳諧の世界から、「杜若」などアヤメ科の御三家に跨りながら、江戸時代の三大俳人の関連する句を紹介します。
芭蕉・蕪村・一茶と其々が詠んだ句の中の花姿は多様であり、一つひとつの情景に趣きが感じられます。

 「杜若 語るも旅の ひとつ哉」        松尾芭蕉
 「有難き すがた拝まん かきつばた」     松尾芭蕉
 「宵々の 雨に音なし 杜若」         与謝蕪村

 「見るうちに 日のさしにけり 花せふぶ」   小林一茶
 「足首の 埃たたいて 花さうぶ」       小林一茶
 「夕月の さらさら雨や あやめふく」     小林一茶

梅雨に関しては、6月14日に東北南部・北部が最後に梅雨入りした後、「空梅雨(からつゆ)」とも言うべき状況となり、太平洋高気圧が異常に強まって梅雨前線が日本列島から遠ざかり、まるで梅雨明けを思わせる晴天と猛暑が連日続きました。

今週になって漸く梅雨前線が南下して、全国的に梅雨空となる展開になっておりますが、例年とは異なるところが多く、沖縄は6月8日に平年より13日早く梅雨明けとなり、奄美も19日に平年より10日早く梅雨明けが発表されております。

今年も、多種多様な花菖蒲、梅雨のさなかに、その表情豊かで洗練された花姿に出会った時、また趣や風情のある品種名に巡り合った時など、日本の歴史や文化にも想いを馳せながら、梅雨空にもしっとりと優美に映えて、かつ、はっとするように迫ってくる美しさをゆっくりと鑑賞し、暫し立ち留まり、心を澄ませるような貴重な時空に向き合い、改めて凛とした心持ちを大切にして、今を乗り切り、前へと歩を進めていければと思います。

令和7年、2025年も早くも半年が経過しつつあり、一年の折り返しとなることを意識して、「年頭の抱負」など点検・実践していきたいものです。
そして是非、気持ちを一新して取り組むことで、後半の半年について、前半以上に実りあるものにしていけるように努めましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <第28候>乃東枯(なつかれくさ かるる)6月21日は、二十四節気では『夏至』、衆知の通り、『夏至日』、即ち一年で一番昼が長く夜が短い一日で始まる時候です。夏の節気は、『立夏』『小満』『芒種』『夏至』『小暑...
20/06/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第28候>
乃東枯(なつかれくさ かるる)

6月21日は、二十四節気では『夏至』、衆知の通り、『夏至日』、即ち一年で一番昼が長く夜が短い一日で始まる時候です。
夏の節気は、『立夏』『小満』『芒種』『夏至』『小暑』『大暑』と展開していきますが、「初夏」「仲夏」「晩夏」の三夏に区別した場合、『夏至日』は正に「仲夏」の真ん中に位置します。

北半球では、日の出・日の入りの方角が最も北寄りになり、太陽が最も高く上る時季ですが、北回帰線上では『夏至日』の正午に太陽が天頂を通過し、北極圏では白夜、南極圏では極夜の季節となります。
『夏至』の節気には、梅雨も続く中ではありますが、気温が更に上がっていき、暑さは日に日に増していきます。一方、『夏至日』を境に、日照時間は秋や冬に向かって少しずつ短くなっていきます。

七十二候では28候、夏至の初候、『乃東枯(なつかれくさ かるる)』の始期です。
冬至の頃に芽を出した「夏枯草(なつかれくさ・かごそう)」の花が枯れていく頃。

『夏至』は「陽極まれば陰となる」、対極にある『冬至』は「陰極まれば陽となる」ということで、『夏至』と『冬至』という両極の節気は、陰陽大極の理を象徴している特別な節気と言えます。
本候は、12月下旬の64候、冬至の初候、夏枯草が目を出す頃を意味する「乃東生(なつかれくさ しょうず)」と対を為しており、「乃東」は『冬至』『夏至』という両極に登場し、一年の暦を二分しています。

『夏至』は、3候とも植物や花が連続して現れます。初候の「乃東」が、『夏至』と『冬至』を象徴する特別の植物として暦の節目を知らせて存在感を示した後、次候の「菖蒲(あやめ)」は、花菖蒲(はなしょうぶ)のことですが、梅雨のさなかに咲く夏の華やかな花として登場し、末候の「半夏生」は、これもまた独特の植物として、雑節にも繋がります。

「乃東(だいとう・なつかれくさ)」とは、「夏枯草」の古名であり、初夏に紫色のきれいな花を咲かせる「靫草(うつぼぐさ)」のことです。
「靫(うつぼ)」とは、武士が弓矢を束ねて携帯するために用いた革製の筒状の矢入れのことで、円筒形の花穂の形が似ていることに由来するようです。
また、花穂が松傘や虚無僧の笠に似ているとして「松傘草」「虚無僧草」の別名もあり、郭公(かっこう)の鳴く頃から咲き始めるとして「郭公花」「郭公草」の名でも呼ばれます。

「靫草」は、『冬至』の頃、多くの草木が枯れる冬の真っ最中に芽を出し、日当たりの良い道端や草地を選んで群生し、春に向けて夏に向けて少しずつ成長を続け、早めに花を咲かせた後、多くの草木が繁茂して開花する『夏至』の時季には、花穂が茶褐色になって枯れていきます。

<続きは、以下の「七十二候専用ブログ」をご参照ください>
https://shichijuniko.exblog.jp/

また、「なつかれくさ」の「生と枯」の時季やリズムは、夏至と冬至の両極を起点として、自然界全般の季節のダイナミズムとは真逆です。
辺り一面の野山が「生」の真っ盛りな中での「枯」、周囲の情景が「枯」の真っ只中にある局面での「生」と、対照が効いており、「生と枯」、すなわち「陽と陰」のコントラストを見事に際立たせて、深い摂理を表現していることに改めて感銘を受けます。

これから本格的な夏の到来に向けて季節は進んでいくわけですが、実は自然の世界は「陰の中に陽あり、陽の中に陰あり」です。
「なつかれくさ」は正に、この「陰中陽」「陽中陰」の象徴として、大きな意味を持って七十二候に採用されたとものと考えています。

季節の移ろいの中で様々な動植物や事象が登場する七十二候の底流には、天地自然の摂理が流れているのを感じます。
人の生活もまた、天地自然の理の中にあることを忘れずに、少し肩の力を抜いて、冷静に自然の流れを見守りながら暮らしていきたいものです。

世の中、時に艱難辛苦の波に見舞われ不安でいっぱいの想いに襲われ、また、時に順風満帆の流れを当り前のように錯覚することもありますが、常に陰陽二極の摂理が働いており、陰と陽が織りなして推移していくことを意識して、将来への希望と備えを大切にして、淡々と生きていくのが理想です。

さて、明治から昭和にかけて活躍した作家・歌人、与謝野晶子は、『みだれ髪』に代表されるように奔放で情熱的な浪漫主義の作風で知られ、生涯で5万首にも及ぶ短歌を詠んだと言われておりますが、少女時代から『源氏物語』をはじめとした古典に精通していたようで、自然の風景を題材に季節を表現しながら自己の情感もさりげなく織り込んだ歌も多く残されており、『夢之華』という歌集には、「靭草」を詠んだ歌もあります。

 「なつかしき 春の形見か うつぼ草 夏の花かや 紫にして」  与謝野晶子

春から夏にかけて、早めに紫の花を咲かせて枯れていく靭草=夏枯草の特徴や存在感を鮮やかに詠いあげており、花に観いる人の心象も伝わってくるようです。
靭草を詠んだ数少ない和歌を口ずさみながら、夏枯草の花言葉「優しく癒す」の効能にも感謝しつつ、心を整えて『夏至』の到来を実感していくのも良いかと思います。

また、明治・大正・昭和を生きた俳人・作家の高浜虚子には、夏至を詠んだ以下の俳句があります。

 「夏至今日と 思ひつつ書を 閉ぢにけり」         高浜虚子

本を読むことに熱中していて、ふと気がつくと時刻の割に未だ日が高いので、そういえば今日は夏至だったのだなと思い至って、暦を初めて実感したという句です。
夏至の日は、冬至のように柚子湯に入る習慣や「冬至の七草」を食する風習もないので、日の長さこそ夏至の特色であることを踏まえて、毎日を有意義に暮らしていきたいものです。

今年は、梅雨入りしたものの、雨が降る日は少なく、日差しが強く暑い日が続いており、6月の最高気温を更新する地点が続出、真夏日・猛暑日の地点数もかなり多くなっております。
今は夏至の頃合いの日の長さを充分に活かして充実した生活を送るとりともに、これからかなり長い夏になりそうな中、体調の維持管理には充分に気をつけていきましょう。

基本的な取組みとして、日々の暮らしの中で、こまめな水分補給、バランスの取れた食事、適度な運動、充分な睡眠を心掛けるとともに、熱中症対策・紫外線対策・冷房対策・食中毒対策にも気を配り、いろいろと工夫することで、夏バテすることなく、快適で健康なサマーライフを送りたいものです。

【七十二候だより by 久栄社】 <第27候>梅子黄(うめのみ きばむ)6月16日から、七十二候では27候、芒種の末候、『梅子黄(うめのみ きばむ)』の始期です。しとしと降る梅雨の雨をあびて、梅の実が青々と太り、次第に熟して、薄黄色に色づい...
15/06/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <第27候>
梅子黄(うめのみ きばむ)

6月16日から、七十二候では27候、芒種の末候、『梅子黄(うめのみ きばむ)』の始期です。
しとしと降る梅雨の雨をあびて、梅の実が青々と太り、次第に熟して、薄黄色に色づいていく頃。

『芒種』の節気では、「蟷螂」「蛍」と夏を舞台に活躍する虫たちが先駆けとなり、この末候では、『立夏』の末候の「筍」、『小満』の末候の「麦」の後を受け、夏の前半3節気連続での食材シリーズという感じで、「梅の実」が『夏至』の一つ前において登場し、「仲夏」の季節も熟しつつあることを象徴するが如くです。

そもそも、梅雨という言葉は、梅の実が熟する頃の雨という意味であると一般的に言われております。
梅雨時の陰暦五月には、「梅の色月」という趣のある呼び方もあります。

梅雨入り・梅雨明けの時期については、毎年、気象庁が地域毎に発表しておりますが、1951年以降の統計値として確定した数値によると、関東甲信では、平均として、昨年と同様ですが、梅雨入りが6月7日ごろ、梅雨明けが7月19日ごろとのことです。

昨年の関東甲信は、梅雨入り6月21日とかなり遅く、梅雨明けは7月18日であり、梅雨の期間としては一ヶ月を切っており、平年よりかなり短い梅雨でした。
但し、その間の降水量の平年比は113%であり、3年前の91%、一昨年の110%に比しても上昇しております。

その前の3年は、例年を大きく上回って雨が降った年が続いており、4年前は、梅雨の期間は一ヶ月ながら平年比128%、5年前は、梅雨明けが13年ぶりの8月となって1ヵ月と3週間という記録的な長梅雨となる中、平年比174%と統計史上の最高値を記録、6年前は、梅雨の期間が約1ヵ月半で平年比131%となっており、近年は気候変動の影響も懸念されているという経緯があり、油断できません。

令和7年、今年の梅雨入りについては、九州南部が5月16日で異例ながら一番で平年よりかなり早く、奄美は19日で平年より遅く、沖縄は22日で平年よりかなり遅くなり、6月8日~10日の間に、九州北部・四国、中国・近畿・東海、関東甲信・北陸と相次いで遅めの梅雨入りとなり、東北南部・東北北部は中旬14日に梅雨入りしております。
一方で、沖縄は6月8日に統計史上最早タイで梅雨明けが発表されており、平年の42日間に対して、17日間と極端に短い梅雨となりました。

毎年ながら、梅雨明けはいつになるのか、7年前は6月下旬、5年前は8月初旬となるなど、近年は両極端に推移している年もあり、実際のところ事前には分かりませんが、今年は台風1号の発生は今月11日と遅かったですが、特に6月下旬から7月上旬にかけて、梅雨前線の活動が活発化することが想定されるので、大雨への備えや対策を着実に進めていくことが大切です。

暦の雑節としての「入梅」の方は、天体の運行に従い、今年は例年と同じ6月11日となっており、ここから30日間程が梅雨とされており、梅の実の収穫時期は、青く堅い梅から黄色く熟した梅まで、用途に応じて旬を迎えていきながら、ちょうど約1ヶ月間、梅雨の時季と一致します。

青く堅い梅は主に梅酒や甘露煮に用いられ、中間は梅シロップなど、黄色く熟した梅は主に梅干しや梅ジャムに使われ、大切な保存食に生まれかわります。
その年に収穫した梅の実を使って、梅干しや梅酒など、一年の食卓に欠かせない梅の手仕事をすることを「梅仕事」といいます。

古くから、「梅は三毒を絶ち、その日の難を逃れる」といい、梅干しを朝夕に定期的に食する習慣は日本人の健康を支えてきました。
「三毒」とは、血の毒・水の毒・食の毒。日本現存最古の医学書、平安中期に丹波康頼が著した「医心方(いしんぼう)」にも梅干の効用が取り上げられているようです。

「花も実もある」梅ですが、もともと中国原産の梅が日本に伝来したのも、奈良時代、薬用植物としてであり、花というより、その実が万病に効くことからでした。
鎌倉時代以降は、梅干しとして食用に供され、戦国時代には特に「梅干丸」など薬効のある携帯食として戦場でも重宝されていたようです。

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古典俳諧の世界に目を向けて、江戸時代の三大俳人についてみると、蕪村と一茶には、梅の実を詠んだ俳句が幾つかあります。
芭蕉の方は、梅の花を詠んだ春の句はいろいろあるものの、梅の実を詠んだ夏の句は見当たりませんでした。江戸初期・中期・後期と時代の変化が反映しているのかもしれません。

 「青梅に 眉あつめたる 美人哉」      与謝蕪村
 「青梅に 手をかけて寝る 蛙かな」     小林一茶
 「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」      小林一茶

青梅に眉をあつめるとは、軽く顔をしかめている様子を表しており、美人のちょっとした仕草が色っぽく絵になっている一瞬をさりげなく詠んでいます。
一茶の方は、いずれも情景がなんとなく目に浮かぶように感じますが、特に前者はユーモラスな蛙の姿が印象的です。

日本画の世界では、梅の実を描いた名画はあまり見当たらなかったので、この時季に見頃を迎える紫陽花(あじさい)をテーマに探してみました。

江戸時代、「奇想の絵師」とも呼ばれた伊藤若冲には、以前にも紹介した『動植綵絵(どうしょくさいえ)』の中に「紫陽花双鶏図」があります。
「紫陽花と鶏」という花鳥画の題材としては斬新な構図で、極彩色で描かれた雌雄の鶏の背景として、ひと際鮮やかな濃いめの青の紫陽花が描かれ、鶏と同等の存在感で迫ってくるようです。

光琳画風を再興した酒井抱一は、『四季花鳥図巻』にて春夏秋冬の草花や鳥や蝶などを描いておりますが、その中で、夏の花として水色やピンク色の紫陽花が丁寧に描かれております。
色の表現には琳派の特徴の一つ「たらしこみ」という技法を使っており、グラデーションが自然な花びら、雨の水滴を載せた葉っぱなど、リアリティのある紫陽花が目を楽しませてくれます。

梅干しが酸っぱいのはクエン酸を多く含むからですが、クエン酸には疲労回復、食中毒予防、食欲増進などの効能があります。
現代でも、梅干しには、他にも肝機能強化、血液浄化作用、整腸作用、生活習慣病予防、胃がん予防、カルシウム吸収促進など、様々な効果が言われております。
梅酢から抽出した「エポキシリオニレンノール」というボリフェノールは、微量でもインフルエンザウイルス等に強い増殖抑制作用や消毒作用があることが報告されています。

梅干しは、おにぎりの具としては定番ですし、梅を使った料理には拡がりがありますし、梅を使ったお菓子は豊かな味わいでリフレッシュ効果も感じます。
昔は、料理は塩と梅酢で調味していたことから、程良い味加減を表す際には「いい塩梅(あんばい)」という表現が使われるくらい、日々の生活に定着していました。

「梅はその日の難のがれ」という諺があるように、朝、出かける前に梅干しを食すと、その日は災難をまぬがれるという言い伝えがあります。
古くから日本人の健康を守ってきてくれてきた一粒の梅干しなど、気候の不安定な梅雨の時季から、蒸し暑い夏の到来に向けて、現代でも私たちの体調を整えるのにも上手く役立ってくれる有り難い存在です。健康リテラシーを高めながら、感謝していただきましょう。

そして、この時季、昼間でも薄暗い日が多くなりますが、黄色味を増した梅の実が、曇天の下、梅雨明かりのようにほんのりと輝きます。
梅仕事の恩恵を受けて健康パワーをチャージし、身体の免疫力を高めながら、鮮やかに色づく梅の実を目で見て楽しむ余裕も持って、心も豊かに毎日を暮らしていきたいものです。

今年の梅雨は、振る時は梅雨末期のような激しい大雨となり、梅雨の晴れ間には気温が上昇して真夏日や猛暑日となる可能性も高く、極端な天候が懸念されております。
気温差も激しいようなので、例年以上に健康に気をつけて体調を整え、本格的な夏の到来にも今から備えていきましょう。

【七十二候だより by 久栄社】 <26候>腐草為螢(くされたるくさ ほたるとなる)6月11日は、七十二候では26候、芒種の次候、『腐草為螢(くされたるくさ ほたるとなる)』の始期です。読み方として、「ふそう ほたるとなる」とも読まれます。...
10/06/2025

【七十二候だより by 久栄社】 <26候>
腐草為螢(くされたるくさ ほたるとなる)

6月11日は、七十二候では26候、芒種の次候、『腐草為螢(くされたるくさ ほたるとなる)』の始期です。
読み方として、「ふそう ほたるとなる」とも読まれます。
夏の暑さに蒸れて腐りかけた草の中から、蛍(ほたる)が舞い出て、暗闇に光を放ち始める頃。

『芒種』の節気では、夏の虫が主役を務めており、初侯の「蟷螂」に続いて、次候で「蛍」が登場、日本の夏の夕闇に淡い光を放ちます。
末候の「梅の実」は、初春の「花梅」の季節から3~4ヵ月が経ち、夏空の下、「実梅」の季節が到来したことを感じさせる展開です。
6月に入り、暦だけでなく、気候や周囲の風物から、夏の息づかいを感じることが多くなってきました。

蛍について、昔の人は、“朽ちた草が蛍になる”ととらえたようであり、蛍には『朽草(くちくさ)』という異名をあります。
出典としては、中国古典の一つ、明代末期の『菜根譚』などに由来するようです。

蛍というと、一般的には、幼虫は淡水や湿潤な林床で育ち、成虫になってからは水辺に住むイメージが先行しますが、幼虫が蛹となるのは土の中であり、羽化して地上に現れて光を灯し始める様子が、土上の朽ちた草が光りだすように見えたと考えられます。

和名の「ほたる」の語源としては、「火垂る」「火照る」「星垂る」など諸説ありますが、「ほ」が火や光を意味しているのは確かなようです。
世界には2000種以上の蛍が生息していると言われていますが、日本では40~50種の蛍がいるようです。

日本の蛍の中では、この時期、5月から7月にかけて羽化して発光するゲンジボタルが最も有名であり、それと対比されるヘイケボタルの方は、もう少し後、6月から8月にかけて姿が見かけられます。

蛍の幼虫は肉食性であり、貝類を好み、ゲンジボタルなどは主にカワニナを捕食し、成虫になるまでにかなりの数のカワニナを食するそうです。
成虫になって飛び交う時には、口器が退化しているため、何も食べず、夜露から水分を摂取しつつ、幼虫時代に蓄えた栄養素だけで生きているようです。

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日本の古典文学においても、『日本書記』や『万葉集』から始まり、平安時代の『源氏物語』や『枕草子』に代表されるように、蛍は幅広く登場します。

『枕草子』には、「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」とあります。
清少納言は、『春はあけぼの』の一節の後、夏については夜が趣深いとして、月が出ている夜は勿論とした上で、闇夜に光る蛍の趣きや風情について、「蛍が多く飛び交っている様子も良い。また、蛍がただ一つ二つと、ほのかに光って飛んでいるのも良い」と、二つの情景を並べて綴っており、豊かで細やかな感性が伝わってきます。

また、『蛍狩り』の風景は、江戸時代には浮世絵の題材としても良く描かれましたが、日本の蛍鑑賞文化は世界でも類を見ないもののようです。

日本の文学や文化というところで、古典俳諧の世界から、江戸時代の三大俳人の「蛍」を詠んだ俳句を紹介します。三者三様の趣きの感じられる句です。

 「草の葉を 落つるより飛ぶ 蛍かな」        松尾芭蕉

芭蕉の句は、「草の葉の上で光を放っていたところ、するりと葉から滑り落ちたと思った瞬間に、蛍は飛び立っていったよ」というように、一瞬の情景を鋭くとらえており、蛍が健気に滑空する姿に、小さな生命の輝きを見い出しているようで、とてもわかりやすく、芭蕉の蛍に寄せる心情も伝わってくるようです。

 「狩衣(かりぎぬ)の 袖のうら這ふ ほたる哉」   与謝蕪村

蕪村のこの句には、『源氏物語』の玉鬘の歌、「声はせで 身をのみこがす 蛍こそ いふよりまさる 思ひなるらめ」に代表される平安時代の和歌を下地に詠まれており、俳句自体の写実的な表現に隠して、「蛍」=「恋する想い」という情感をもほのかに漂わせており、奥行きの深さを感じさせる名句であると思います。

 「大蛍(おほぼたる) ゆらりゆらりと 通りけり」  小林一茶

一茶調と呼ばれる庶民らしく親しみのある独自の俳風を確立した一茶らしい句であり、「夏の闇夜に、大きな源氏蛍が、ゆらりゆらりと、大きな弧を描きながら飛んで、目の前を通って行くなあ」ということで、一匹の蛍が、ゆっくりと大きな光で軌道を示しながら、飛んでいく情景が目に浮かぶようで、夏が到来したことを知りつつ、涼しげな情景に、気持ちも少し安らぐように感じる次第です。

日本画の世界では、気品あふれる美人画を得意とした、近現代の傑出した女性画家、上村松園(うえむらしょうえん)の「蛍」があり、山種美術館に所蔵されています。
手を上に伸ばして蚊帳吊りにいそしむ浴衣姿の清楚な女性が、足許にふと舞い込んだ一匹の蛍に気づいて振り返り、やさしい目線を送る上品な佇まいの作品です。

松園は、江戸時代の喜多川歌麿の蚊帳を描いた作品などに関心を示し、そこから蚊帳と蛍の取り合わせの構図を思いついたとこのことです。
松園には他にも、「新蛍(にいぼたる)」という題材で、美女と蛍の組合せで描いた作品が幾つか残されており、それぞれに趣が感じられます。

蛍の発光は、オスとメスが互いに自分の居場所を知らせ合うための光の信号だと言われております。
蛍にとって光は大切なコミュニケーション方法、光を瞬時に発したり止めたり、自由自在にコントロールできるのです。

オスは集団で一斉に発光・点滅を繰り返して、光の集合によって、遠くのメスにも届くシグナルを送ります。
メスの方は各々が不規則に発光・点滅して、自分の存在を各々のシグナルでアピールします。

惹き合ったオスとメスは、発光の仕方を変化させながら徐々に近づいていき、最後はメスがオスの発光間隔に近づけて、瞬きの息の合った蛍のカップルが誕生するそうです。

草陰から飛翔し、刹那の命を精一杯きらめかせて、光の力でパートナーを探し求め、めぐり合う蛍の姿。
蛍の棲める自然環境と蛍を愛でる日本の文化を受け継いでいきながら、改めて、私たち人も心の光をしっかりと灯して、命を輝かせて生きていきたいと思う次第です。

幸いなことに、人と人とのコミュニケーションの世界では、対面リアルを基本としつつも、電話やメールに加えて充実したオンラインの対話や面談の方法を併用することが当たり前になっております。
相手を慮りながら、お互いの時間を有効に活用しつつ、適時適切な方法で効果的かつ効率的に意思疎通を図ることで、是非、開かれた交流も大切にしながら、心地よいサステナブルな社会を目指していきたいものです。

今年は、総じて例年より梅雨入りが遅れておりますが、8日に九州南部・四国、9日に中国・近畿・東海、10日には関東甲信・北陸と連日の梅雨入りとなっており、本日から6月も中旬に入る中、残る東北南部・東北北部も、順次、梅雨入りとなりそうです。

沖縄は早々と8日に平年よりかなり早く梅雨明けとなりましたが、今週9日に鹿児島で線状降水帯が発生するなど大雨への警戒が必要な季節となっております。
これからの季節、体調管理や荒天対策にも充分留意して、日々の天気に適切に対応し、本格的な夏に向けての準備もしながら、充実した生活を送っていきましょう。

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Chuo-ku, Tokyo
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