秋田民報社

秋尾敏さんという人の「子規に至る」という本を図書館から借りて読んでみた。俳句の専門書のようで内容はよくはわからなかった。その本の中で平山省斎という人の紹介があって「奥州磐城藩三春に生まれた」とあった。今の福島県である。が、江戸時代に磐城藩三...
09/09/2025

秋尾敏さんという人の「子規に至る」という本を図書館から借りて読んでみた。俳句の専門書のようで内容はよくはわからなかった。その本の中で平山省斎という人の紹介があって「奥州磐城藩三春に生まれた」とあった。今の福島県である。が、江戸時代に磐城藩三春はない。平山省斎の出自を他で調べてみたら三春藩の生まれであった。その三春藩は磐城ではなく隣の田村郡にあった。まあご愛敬ではある。三春といえば「三春滝桜」が有名であり、伊達政宗のご正室である愛姫(めごひめ)の出身地として知られている。また三春藩の藩主は田村氏であるが、様々あって仙台藩の支藩として一関に移り幕末に至った。その後諸大名が入れ替わり最終的には安東秋田氏が入府して幕末に至った。石高五万五千石。安東秋田氏はその前に津軽の十三湊から秋田に移っていて佐竹氏の秋田入府の代わりに日立(茨城県)への移封を経て三春に移ったのであった。秋田から移封されたのは秋田氏の他に戸沢氏、六郷氏、本堂氏等がいる。私は佐竹氏入府以降の秋田を新秋田、それ以前を旧秋田と考えていて、旧秋田への思い入れが深い。ただこの安藤氏あるいは安東氏の歴史は歴史というより伝説と言うべきことが多い。三春に最初に入府したのは秋田俊季であるが、その父親の実季は転封に反対して今の三重県の朝熊に流された。なかなか面白い伝説があるが省略する。明治時代の自由民権運動の闘士である河野広中は三春の出身である。平山といい河野といい三春は異能の持ち主生まれるところであったようだ。そしてそこには秋田の血というかDNAがいくらか混じっているような気がするが、一方では秋田氏が三春の地に溶け込んだともいえる。歴史はさまざまである。(酔子)

最近あるゲームを買った。建築やサバイバルを楽しめる世界的にも有名なゲームで(この情報だけで何のゲームか分かる人もいるだろう)、プログラミング学習の一環として授業に取り入れている学校もあるそうだ。そのゲームで建築を楽しむにあたり、どうせなら基...
08/09/2025

最近あるゲームを買った。建築やサバイバルを楽しめる世界的にも有名なゲームで(この情報だけで何のゲームか分かる人もいるだろう)、プログラミング学習の一環として授業に取り入れている学校もあるそうだ。そのゲームで建築を楽しむにあたり、どうせなら基礎や内部構造などをしっかり勉強して、現実に則った日本建築づくりに挑戦したい!と思った私は、本屋に行き、人生で初めて理工系の本が並ぶ書棚の前に立って、日本建築史に関する本を手にとったのだった▼日本の古代建築について、まず最初に学校で習うのは竪穴建物、そして掘立柱建物だ。竪穴建物は地面を掘って床とし、柱や梁・桁を設置して屋根を葺いたものであり、掘立柱建物は、地中に柱の根元を埋めたもので、大陸からの仏教の伝来と共に礎石が伝わってもなお、日本の伝統的な建築手法として残り続けた。掘立柱の難点として、地中に木材を埋めるため、礎石建物よりも腐りやすいことがある。建築というものは丈夫で壊れないに越したことはないであろうし、それを目指していくものだと思っていたのだが、礎石建築が伝来しても掘立柱がおよそ近世まで見られていたのが不思議だった▼掘立柱建物が大部分に見られた平城京内で、何度も邸宅の建て替えがあったことや、伊勢神宮の式年遷宮からも考えられるように、掘立柱の建築はそもそも壊れることを前提としているそうだ。4つの日本人の美意識を提唱したドナルド・キーン氏の言葉を借りるならば、建築の面にも「ほろびやすさ」という美意識が底流にあるのだろうと感じた。中国から伝来した礎石建物や、遠く離れた西洋の石造建築は永遠性を追求するのに対し、日本は、朽ちていくのは自然なことだから受け止めて次へ次へと建て替え繋げていく、有限性の中に永遠の一端が垣間見えるという対比が面白い▼建築史の本を読み始めて、掘立柱ひとつで建築史はここまで面白いのかと驚愕した私は、ゲームはそっちのけでもう何冊か日本建築史の本を買って読み漁っている。その上このゲームは敵に攻撃されて体力が無くなると持っていたアイテムが全て無くなったり、建築物を爆破されたりするのだ。これも「ほろびやすさ」という美意識の一つか、と思ったが到底受け入れられそうにない。   (さとい)

タレントの高田純次氏は「年寄りは次の三つはしてはならない」と言っています。昔の話、自慢話、説教だそうです。しかし私はあえて大曲の花火についてまずは昔の話をします▼子供の頃花火の日は竹竿を持って残月(昼花火の旗物)を追いかけていました。そして...
02/09/2025

タレントの高田純次氏は「年寄りは次の三つはしてはならない」と言っています。昔の話、自慢話、説教だそうです。しかし私はあえて大曲の花火についてまずは昔の話をします▼子供の頃花火の日は竹竿を持って残月(昼花火の旗物)を追いかけていました。そしてまだ雄物川が改修なる前ですが、我が家では「松月」という割烹が花火観覧の場所でした。割烹の窓の前に長木の桟敷にゴザを敷き、すぐ目の前が打ち上げ場です。臨場感あふれ、時々金魚花火が桟敷に飛び込んでくるスリル満点の花火大会でした。一発揚がると次の花火が揚がるまで暫く時間がかかり、その間屋形船の手踊りを見ながらの大会でした▼次に自慢話は、県外に行き「秋田の大曲です」と言うと「あの花火の大曲ですか」と言われます。随分と有名になったと気を良くして「機会があったらいらしてください」などとリップサービスのつもりで言おうものなら大変なことになります。「声を掛けたらみんな行きたいって、十人で行きます」。宿の手配、弁当、飲み物どうするの。妻はカンカン「私手伝えないからね」口は災いの元です。自慢話はほどほどに▼最後は説教です。大会の運営に携わった時、子供が迷子になりお母さんが大会本部に駆け込んできます。我々は子供さんの特徴を聞き、警察、警備員や消防などに無線で連絡し捜索が始まります。すると一時間もすると大概は発見されます。その間お母さんに「絶対怒らないで下さいね。説教せばだめですよ」と、説教いや諭すのです▼やがて子供が現れ、涙のご対面です。しかしあれほど怒らないで、と頼んだのに「どごさ行ったのよ」。ほとんどのお母さんは説教です。子供は「うぁー」と泣き出し、そこで私がアメっこを渡すとニコッとし、笑顔で帰ってゆきます▼自慢話と説教はほどほどに。でも昔の大曲の花火は情緒があり、凛とした品格があったような気がするのは年のせいでしょうか。
(塩谷 國太郎)

心理学や行動科学によれば、人は1日に3万?3万5千回もの判断をしているといわれています。日常の中で、多くの小さな判断から大きな判断までを繰り返しているのです。その判断を支えているのは、長年の経験や教育、環境の中で形づくられた「思考体系」で、...
01/09/2025

心理学や行動科学によれば、人は1日に3万?3万5千回もの判断をしているといわれています。日常の中で、多くの小さな判断から大きな判断までを繰り返しているのです。その判断を支えているのは、長年の経験や教育、環境の中で形づくられた「思考体系」で、いわば脳のOSのようなものです。これを変えるというのは、単なる考え方の修正ではなく、価値観や判断基準を根っこから入れ替える作業です▼ところが、この過去の思考体系というものはなかなか頑固で、長く使ってきた回路は無意識のうちに現状維持を好みます。自分だけ変わろうとしても、周囲が同じ古い体系のままだと、つい元に引き戻されてしまうのです。これだけ変化の激しい時代に突入すると、過去の思考体系にとらわれていてはリスクばかりが増えてしまいます。これから求められるのは、成果を生まない思考体系を思い切ってゴミ箱に捨て、そこに「持続可能な」というキーワードを取り入れた新しい思考体系へ入れ替えていくことなのでしょう▼では、どうすれば過去の思考体系を変えられるのでしょうか。まずは、現状の思考パターンを記録し「見える化」することです。自分の判断や感情の理由を書き出し、客観的に眺めてみます。そのうえで、普段触れない分野の本や記事に触れたり、自分とは正反対の意見をあえて検討したりすることで、視野は広がります。次に、判断基準を再設定する意識を持つことも重要です。その基準は「価値があるかどうか」を軸に据え、とくに「効率」より「持続可能性」を優先する思想が大切です。さらに、新しい価値観を共有できる人と積極的につながることも有効でしょう▼時々「未来が見えづらい」という方もいますが、この見えづらいという事が見えていることに気づくとパラダイムシフトも進むのではないでしょうか。いつの時代も未来は不透明だからこそ、柔軟に思考体系を更新していく必要があるのです。
(のぶ)

今年の夏にとある音楽ライブに行った▼最近の趣味の一つで、気が向いたら遠方でも新幹線に乗って会場に行く。お気に入りのアーティストのタオルやTシャツなどグッズを買い込み。ライブ中は声を出したり、手を突き上げたりしながら、その音楽に浸る時間を幸せ...
26/08/2025

今年の夏にとある音楽ライブに行った▼最近の趣味の一つで、気が向いたら遠方でも新幹線に乗って会場に行く。お気に入りのアーティストのタオルやTシャツなどグッズを買い込み。ライブ中は声を出したり、手を突き上げたりしながら、その音楽に浸る時間を幸せに感じている▼一人で行くことが多い私はこの度、ロックバンド「サンボマスター」のライブに両親を連れていくことにした。曲をほとんど知らず、今までライブに行ったこともほぼ無い60代の両親を、半ば強引に誘ってみた。普段から家と仕事先の往復で、私がどこかに行って楽しかったという報告をすると「それは良かったね」と言ってくれる両親に、自分が元気をもらっている空間を共に観てもらいたくなったからだ。特に会場が熱狂の渦に包まれるサンボマスターのライブを観てどんなカルチャーショックを受けるのかとても気になった▼会場はあきた芸術劇場ミルハスの中ホールで、竿灯まつりの初日にぶつかったのにも関わらず、800の座席は満員御礼であった。ライブは「全員優勝ツアー」というタイトルで、「ワールドカップやオリンピックは、優勝が1人しかいないけれど、今日はみんなを俺たちが優勝させに来た!全員優勝する準備は良いですか!」とスタートからエンジン全開のパフォーマンスだった。この空気感に両親はついていけるのかと不安があったが、曲中に思いっきり手を突き上げて知らない曲でも会場の熱を感じながらライブを楽しんでくれていた。普段の様子とは違う両親の姿が新鮮で、気持ちを突き動かすライブのパワーを家族で体感することができた。「心を少しでも不安にさせちゃだめさ、灯りをともそう」と唄うサンボマスターの歌詞に、家族が前向きになれる気がした。ライブの帰り、竿灯の明かりが全員優勝のともしびに重なって映った。数週間経った今も、両親とライブの話題になることがある。勇気を出して誘って良かった。
(たふじ)

日本の総人口は減少傾向にあり、令和5年10月1日現在で1億2435万人とされている。平成20年の1億2808万人が最多で、その後減少に転じ平成23年以降は13年連続で減少しているという。日本人が減少を続ける中で、近年でも年間7千人から9千人...
25/08/2025

日本の総人口は減少傾向にあり、令和5年10月1日現在で1億2435万人とされている。平成20年の1億2808万人が最多で、その後減少に転じ平成23年以降は13年連続で減少しているという。日本人が減少を続ける中で、近年でも年間7千人から9千人台の「帰化許可者」がいる。法務省の統計を見ると、令和6年の帰化許可者数は、8863人で、国別の内訳は中国が3122人で、韓国・朝鮮の2283人を初めて上回ったという▼帰化は、外国人からの申請に基づき、法務大臣が日本国籍を与える制度である。帰化の一般的な条件として、◎5年以上居住 ◎18歳以上 ◎素行が善良 ◎生計を営める ◎二重国籍の禁止 ◎憲法遵守 の6要件があり、さらに日常生活に支障のない程度の会話と読み書きが求められるという▼その一方で、「永住者」の在留資格が与えられるためには、原則として10年間の在留が必要だが、帰化条件は5年間の居住で、「永住ビザより帰化のほうが簡単にできる逆転現象が起きている」との批判が出ているという▼来日外国人犯罪は、件数だけを見ると減少しているが、日本の総人口に占める外国人の割合は約2・2パーセントであるのに、刑法犯の検挙人員に占める外国人の割合は5・5パーセントと高めになっている。国籍、地域別を見ると中国とベトナムが全体の半数以上を占めている▼世論調査結果によると、「体感治安が悪化している」との回答が増えているという。佐賀県伊万里市での強盗殺人事件の例もある▼田舎だからと安心してはいられない。
(さとう としお)

特別養護老人ホームでは「高齢者は食事が楽しみだからおいしい食事提供に努めよう。」と思うのが通常であり、入居者のご家族もそれを望む。ご本人の健康状態により普通食や軟食・糖尿食などさまざまな病気に合わせた制限食がある。料金は全部一緒だ。そして食...
21/08/2025

特別養護老人ホームでは「高齢者は食事が楽しみだからおいしい食事提供に努めよう。」と思うのが通常であり、入居者のご家族もそれを望む。ご本人の健康状態により普通食や軟食・糖尿食などさまざまな病気に合わせた制限食がある。料金は全部一緒だ。そして食事する本人の嗜好もあり、提供する側はかなり複雑な調理作業が求められる。一般家庭の楽しく美味しい食事とはだいぶ様相が異なる▼「朝は毎日ご飯に納豆で食べたい。」とか「卵かけご飯にネコブダシで食べたい。」とか、一般家庭のようにはいかない。施設の管理栄養士はそんな献立は作らない。しかし、入所者本人がそれをリクエストしたら、それは日本国憲法に謳われる「幸福を追求する権利」ではないか。なんて言い出す御仁が出てくるのではないかと思ったりもする。なにせ静岡県伊東市長のようなとんでもない人物がこの国には存在するようになったのである▼私のように一日一食の者は、「朝食、昼食、おやつはいらないから夕食の時のビールに替えてほしい。」などと言い出すかもしれない。そんなことを言ったら施設全体を敵に回すと思われるが「幸福を追求する権利」は永久不滅である▼「幸福を追求する権利」とは別名「愚行権」ともいう。簡単に言えば施設は入居者のリクエストにいちいち応える義務はないであろう。「制限しないので周りの迷惑にならないように勝手に自分でやってください。」ということである。私のような一日一食の場合は、「朝食代と昼食代は請求しないから、ビールは自分で勝手に好きなだけ飲んでください。」ということになろうか。施設はそれぞれ個人の幸福の追求にすべて応じる。世の中で個人的幸福の追求などは、傍目から見ればあきれるような
ことが多い。「クマを殺すな。」と抗議するのもおそらくその類ではなかろうか。
(古屋一彦)

八月も半ばである。お盆休み中、お墓参りをしてきた方も多いことだろう。最近、身近な人を亡くされた方もいらっしゃるかもしれない。私は、フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画『道』(La Strada 1954年)を思い出している。この映画は、...
19/08/2025

八月も半ばである。お盆休み中、お墓参りをしてきた方も多いことだろう。最近、身近な人を亡くされた方もいらっしゃるかもしれない。私は、フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画『道』(La Strada 1954年)を思い出している。この映画は、フェリーニのネオリアリズムの集大成であり、愛と赦し、人間の尊厳や孤独を描いた傑作として高く評価されている▼貧しい家庭の少女ジェルソミーナは、粗野な大道芸人ザンパノに金で買われ、彼の助手として旅に付き添うことになる。ザンパノの暴力的な態度や女癖に耐えながらも、純粋で不器用なジェルソミーナは、懸命に生きる意味を見出そうとする▼旅の途中、二人はサーカス団と合流し、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人イル・マットと出会う。彼の優しさと励ましに心を寄せるが、ザンパノとは険悪な仲で、ある日、ザンパノは衝動的にイル・マットを殺してしまう。それ以降、ジェルソミーナはショックで心を病み、虚脱したまま何もできなくなって、大道芸の助手としても役に立たなくなる。手に負えなくなったザンパノは、ある日、道端で食事をした後に、居眠りをするジェルソミーナを、その場に置き去りにして立ち去ってしまうのだ▼数年後、ザンパノは、海辺の町で、洗濯物を干していた地元の娘が、耳慣れた曲を口ずさんでいるのを聞く。それはかつてジェルソミーナがラッパで吹いていた曲であった。ザンパノはその娘から、ジェルソミーナと思われる女がこの町に来て、娘の家にかくまわれたが、毎日泣いて暮らし、やがて死んだことを聞き出す。彼女がもうこの世にいなくなったことを知らされたザンパノは、初めて自身の孤独と罪の重さを悟り、酒場で痛飲し大暴れしたあげく、町をさまよう。ラストシーン。海岸にたどり着いたザンパノは、砂浜に座り込み、唇を震わせながら号泣するのであった▼失った人への愛と慈しみ。孤独と後悔。これほど胸を打つ映画はない。しかし、不思議なことに、また、切ないことに、失った人の面影や、一緒に暮らしていた記憶は、歳月と共に徐々に失われてしまうものなのだ。暑かった今年の夏も、もうすぐ終わろうとしている。
(伊藤 肇)

「おじいちゃん、暑いね。本当に暑い。何とかできないかこの暑さ、勉強も宿題もできないよ、気が狂ちゃうョ」と次男坊である小学五年生の孫が私に話しかけてきました。私は「部屋のエアコンを点けて涼しくして勉強すればいいんじゃないか」と返答したところ、...
15/08/2025

「おじいちゃん、暑いね。本当に暑い。何とかできないかこの暑さ、勉強も宿題もできないよ、気が狂ちゃうョ」と次男坊である小学五年生の孫が私に話しかけてきました。私は「部屋のエアコンを点けて涼しくして勉強すればいいんじゃないか」と返答したところ、「そんな問題じゃないよ、外は36度もあるんだよ。頭がおかしくなるよ」との返答です。そうです、この孫は勉強があまり好きじゃないものですから何かにつけて、ああだこうだと理屈を並べて勉強から遠ざかろうと試みるのであります。しかしそれはそれとして、本当に暑い、暑いものはやはり暑いのです。今年の夏はどうなっているのでしょうか▼七月三〇日秋田県大館市、仙北市角館で38・1度の温度で最高を記録しました。また八月五日には群馬県伊勢崎町では日本の歴代最高気温41・8度これは大変な暑さです。「水がお風呂のお湯になってしまいます」「外出しないで室内でエアコンを適宜使用し暑さをしのぎましょう。熱中症予防に心がけましょう」とテレビでは呼びかけています。日本中で『熱中症』によって救急搬送される方がたくさん出てきております。現在死者六〇名で災害級の暑さです。「熱中症緊急アラート」が発令される事態もあります▼私が小学校の頃、今から七〇年程前は、外気温が30度を超えると「ものすごい暑さです」と表現されたものです。そのころ、夏には「霍乱(かくらん)」という病気がありました。「精選版日本語大辞典」によりますと、「霍乱」はきかくりょうらん(揮霍僚乱)の略で、もがいて手を激しく振り回す意味から「暑気あたり」によって起きる諸病の総称で、現在では普通「日射病」や「熱射病」をさします▼今日もまたお昼のNHKニュースで「危険な暑さが続いております。熱中症対策に厳重注意を」と呼び掛けています。ところで八月二日私は「競馬中継」を見ましたが、「お馬さん」が暑さでへたばりそうになっているとのことで、一時から三時まで、中央競馬は暑さ対策で休みにするということでした。その分四時半から夕方の六時半まで競馬を延長するとのことです。しかし、「札幌は今まで通り走らせる」ということでしたが、これに、武豊騎手が「それはおかしい」とクレームを付けておりました。いずれにしても馬も暑けりゃ私も暑い。「むかい風」の原稿を書いている場合ではない。水風呂にでも入ってクーラーの効いた自室でキンキンに冷えたビールを片手に昼寝でもしましょうか。 (永・良)

青い空、白い雲。夏空に自然に溶け込む蝉の声。その景観に見事に映える半夏生の〝白〟とネムの花の〝ピンク〟。長年見続けてきた我が家の裏の畑の夏の光景である。残念なことに、今年は肝腎要のネムノキに花どころか葉っぱもつかなくなってしまった▼父が他界...
12/08/2025

青い空、白い雲。夏空に自然に溶け込む蝉の声。その景観に見事に映える半夏生の〝白〟とネムの花の〝ピンク〟。長年見続けてきた我が家の裏の畑の夏の光景である。残念なことに、今年は肝腎要のネムノキに花どころか葉っぱもつかなくなってしまった▼父が他界して20年、母が他界して8年になる。いつこのネムノキが植えられたのか?定かではない。気が付いた時には既に成木になっていた。先日、二人の姉にメールを打って問い合わせてみたが、二人ともネムノキの存在自体記憶が無いと言う。私がこの家にいなかった学生時代の事か?それとも仕事に明け暮れ、植樹に気が付かなかっただけなのか?▼裏の畑にはネムノキをはじめ、ユキヤナギ、ツツジ、サツキ、モミジなどの落葉低木が畑を取り囲む様に等間隔に植えられていた。その長老とも言えるネムノキ、数年前から元気がない。ピンク色の可愛らしい花は夏の景色に絶妙にマッチする。万葉集などにも数多く詠まれ、古くから日本人に親しまれていたようだ。検索してみるとネムノキの平均樹齢は30年。個体差はあってもせいぜい40年位が寿命か…▼父は教師だったが、若い頃培った園芸の知識を活かして、猫の額ほどの畑を耕して様々な野菜を作ることを楽しみにしていたようだ。カメラの趣味もあった。その実益か?畑で遊ぶ子供たちの写真を何枚も残していた。しかし、そこには明らかにネムノキの姿はなかった▼ネムノキ。漢字では「合歓木」と書く。「歓び」が「合わさる」木ということか…夜になると2枚の小葉が寄り添うように閉じる。夫婦が共に眠る様子に似ていることから〝夫婦円満〟の象徴と言われている。父や母に代わって畑を耕し、少しばかりの花や野菜を手掛けて20年。雑草との格闘の日々もあった。些細ながら収穫の歓びもあった。家内と寄り添って今年で40年。全ての映像を合歓木は見ていた。今初めて知る親の思い…この老木が教えてくれた。
(かまだ しゅん)

列島連日の酷暑。まいりました。こんなに暑い日が続く夏は記憶にありません。7月の真夏日が24日(秋田市)。平均気温は百四十三年で最高とか(明治15年以降)。田舎の実家に戻り三十年。親と子供部屋以外はクーラーなし。睡眠時は氷枕作戦。熱帯夜カラダ...
09/08/2025

列島連日の酷暑。まいりました。こんなに暑い日が続く夏は記憶にありません。7月の真夏日が24日(秋田市)。平均気温は百四十三年で最高とか(明治15年以降)。田舎の実家に戻り三十年。親と子供部屋以外はクーラーなし。睡眠時は氷枕作戦。熱帯夜カラダがだるい。寝汗で何度も起きる。もう少しで朝晩涼しくなるはず、でした。いつのまにか鼻水。のどガラガラ。夏風邪です。耐えきれず大型家電店へ。「三連休は売れました。クーラーまだ間に合います。明日下見して一週間で取り付けします」。誠実、親身。一流の販売対応さすがでした。逃せば設置はお盆明け。都会からの帰省客が高齢の両親に親孝行で購入するケースが多いそうです。需要は例年の三倍の勢い。かくして人生初の寝室冷房に感動。今までワタシは何を我慢していたのでしょう。呆然朦朧の中、海外で大地震。そして津波騒ぎに夏の台風発生。テレビでは権力者の情けない言動ばかりが目に付きます。市長が学歴詐称だ。トランプは相互関税だ。参院選大敗、総理は退陣いたしません。ずるい、謝らない、責任逃れ、保身ばかり。世の中デタラメオンパレード。本当に守るべきものは何か。なんとも歯がゆく息苦しい夏です。過ちに気づけば人はやり直せます。気づいた所からやり直してみればよいのです。取引先の師匠の言葉は痛烈です。「想定外のことが沢山出てきます。その時に出る振る舞いはその人の人間性です。慈しみの心があるか分かります。誰が御仏かがわかる時です」。勇気をもって恐れずぶつかれ、と。なるほど人生の修羅場で、土壇場で、その人の素顔や心のカタチが見えてきます。過ちを正す瞬間の風景は鮮やかです。勇気をもって正したからこそ見える景色もあります。正しいかどうかは胸を張れるかどうか。そう言えば、恥じることなく胸を張って生きる人の顔はいつも涼しく爽快で凛々しいのです。
(花火太郎)

中国語の「下馬威(シャマウイ)」は辞書では「まず始めに人に威勢を示すこと、最初ににらみをきかすこと」とある。小説家の安能務さんは「春秋戦国志(上)」でこれを出会い頭にかますハッタリ」と表している。言いえて妙である。このところ米国大統領の関税...
08/08/2025

中国語の「下馬威(シャマウイ)」は辞書では「まず始めに人に威勢を示すこと、最初ににらみをきかすこと」とある。小説家の安能務さんは「春秋戦国志(上)」でこれを出会い頭にかますハッタリ」と表している。言いえて妙である。このところ米国大統領の関税をめぐる言説はまさにこのハッタリのようにみえる。しかし関税で貿易をコントロールしようとするのはいささか古典的である。関税の歴史は古く古代都市国家から始まるようだが、最近では重商主義政策の手段として知られる。第一次世界大戦後の世界恐慌では欧州各国がブロック経済に走りブロック外の国の関税を高くしたようだ。ドイツ、日本はブロック外の国でこれが第二次世界大戦のきっかけの一つであったと言われている。第二次世界大戦後その反省からケインズやホワイト等の努力でブレトンウッズ体制が作られるとともに、GUTT(関税及び貿易に関する一般協定)がつくられ関税の引き下げが企図された。GUTTはその後WTOに改組されて何度かの国際ラウンドを経て現在に至っている。米国のというか米国大統領の思考はこの関税引き下げの動きに逆行するものである。また日本とEUは今後何年かにわたってそれぞれ約八十兆円を米国に投資するという。これによって米国がとんでもないインフレ国家にならないか。過ぎたるは及ばざるのである。米国のねらいが関税収入の確保か、国内産業の保護かあるいはその両方なのかよくは知らないが、国際経済で一国のみが繁栄するということはないのだろう。そしていずれのときか知らないが関税が元に戻るような気がする。のどもと過ぎれば熱さを忘れ、かくして歴史は繰り返す。二度だけでなく三度もそして何度も繰り返すのだろう。
(酔子)

住所

大曲栄町10/22
Daisen-shi, Akita
014-0061

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
火曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
木曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00

電話番号

+81187632122

ウェブサイト

アラート

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