
09/09/2025
秋尾敏さんという人の「子規に至る」という本を図書館から借りて読んでみた。俳句の専門書のようで内容はよくはわからなかった。その本の中で平山省斎という人の紹介があって「奥州磐城藩三春に生まれた」とあった。今の福島県である。が、江戸時代に磐城藩三春はない。平山省斎の出自を他で調べてみたら三春藩の生まれであった。その三春藩は磐城ではなく隣の田村郡にあった。まあご愛敬ではある。三春といえば「三春滝桜」が有名であり、伊達政宗のご正室である愛姫(めごひめ)の出身地として知られている。また三春藩の藩主は田村氏であるが、様々あって仙台藩の支藩として一関に移り幕末に至った。その後諸大名が入れ替わり最終的には安東秋田氏が入府して幕末に至った。石高五万五千石。安東秋田氏はその前に津軽の十三湊から秋田に移っていて佐竹氏の秋田入府の代わりに日立(茨城県)への移封を経て三春に移ったのであった。秋田から移封されたのは秋田氏の他に戸沢氏、六郷氏、本堂氏等がいる。私は佐竹氏入府以降の秋田を新秋田、それ以前を旧秋田と考えていて、旧秋田への思い入れが深い。ただこの安藤氏あるいは安東氏の歴史は歴史というより伝説と言うべきことが多い。三春に最初に入府したのは秋田俊季であるが、その父親の実季は転封に反対して今の三重県の朝熊に流された。なかなか面白い伝説があるが省略する。明治時代の自由民権運動の闘士である河野広中は三春の出身である。平山といい河野といい三春は異能の持ち主生まれるところであったようだ。そしてそこには秋田の血というかDNAがいくらか混じっているような気がするが、一方では秋田氏が三春の地に溶け込んだともいえる。歴史はさまざまである。(酔子)