秋田民報社

外で飲まなくなって何年になるか。高校、大学の同窓会その他で年五回ぐらいか。一つには食い物がそれほどうまく感じないせいである。それから酒によってタクシーやらなにやら帰りが面倒なこともある。食い物については特に宴会料理はうまくない。宴会の前に自...
10/10/2025

外で飲まなくなって何年になるか。高校、大学の同窓会その他で年五回ぐらいか。一つには食い物がそれほどうまく感じないせいである。それから酒によってタクシーやらなにやら帰りが面倒なこともある。食い物については特に宴会料理はうまくない。宴会の前に自宅で食っていくことが多い。酒もあまり良いものはない。これも自宅で飲んだほうがうまい。かといって高い酒を飲むわけではない。酒の始めはビールとなるが自宅ではほとんど飲まない。あれほど飲んだ日本酒も数年前に糖尿病の警告を受けてからほとんど飲むことがない。情けないことである。代わりに焼酎とウイスキーを飲む。何年かかかってウイスキーは味がいくらかわかったつもりでいるが、焼酎は相変わらず味がわからずただ酔うために飲んでいる。それでも素面のつまらなさに比べればよいのだろう。ウイスキーは昔はスコッチが最上と言われていたのだが、最近ずいぶんとまずくなった気がする。日本のそれは随分と評判が良い。評判が良すぎて値段が高くなりすぎてはいないか。数年前にイギリスのデュワーズの評判が良くなってずいぶんと飲んだが最近は出回りすぎてあちこちで見かけるようになった。こうなるとつまらない。休肝日と言うものがあるらしい。全く従ったことがない。酒は日々規則正しく飲むべしとは誰に教わったわけでもなく我が思いである。が、問題は女房殿である。何かしらうるさい。あと一杯、あと何杯といわれる。それは李白の詩をわからない故である。大体が酒を飲まずして文学はわかりようがないのである。そして酒を飲んだから文学がわかるものでもないのであるが。で、あれば飲むにこしたことはない。おりしも秋である。
(酔子)

文学は、古来より人間の本質を映し出す鏡だった。作家たちは言葉を巧みに操り、時に現実を超えた世界を、時にありふれた日常の機微を描き出してきた。しかし今、この創造の領域に、AIという新たな存在が足を踏み入れようとしている▼AIが文学作品を生み出...
09/10/2025

文学は、古来より人間の本質を映し出す鏡だった。作家たちは言葉を巧みに操り、時に現実を超えた世界を、時にありふれた日常の機微を描き出してきた。しかし今、この創造の領域に、AIという新たな存在が足を踏み入れようとしている▼AIが文学作品を生み出す技術は、すでに現実のものとなっている。膨大な量のテキストデータを学習することで、AIは人間が書いたかのような自然な文章を生成し、物語のプロットを組み立てることも可能になった。驚くべき速さで長編小説を完成させたり、特定作家の文体を模倣したりする能力は、人間にはない。もはやAIは、単なる道具ではなく、共同制作者、あるいは独立した「書き手」になりつつある▼この流れが最も顕著になったのは、2024年の第170回芥川賞受賞作、九段理江氏の『東京都同情塔』を巡る騒動だろう。作者自身が、作品の一部に生成AIの文章をそのまま利用したと公言したことで、「AIが書いた小説が芥川賞を受賞した」という形で大きな炎上を巻き起こした。しかし、九段氏はインタビューで、AIはあくまで自身の思考を補完する「パートナー」であり、作品のテーマである「AIが氾濫する社会」を表現するための意図的な手法だったと語った。AIの言葉を作品に取り込むことで、人間とテクノロジーの関係性を文学的に問いかけたのだ▼?文学とは、単なる言葉の羅列ではなく、作者の経験や哲学、そして魂が宿るものだという考えは根強い。しかし、AIの作品に感動を覚えた時、私たちは一体誰の感性に共鳴しているのだろうか。芥川賞の騒動は、AIがどれだけ精巧な物語を紡ぎ出しても、人間が持つ「不完全さ」や「非合理性」、そして「予測不可能性」から生まれる物語を書くことはできない、という信条を揺るがす出来事だったのかもしれない▼言葉の創造性が問われる時代に、文学とAIはどのように共存していくのか。文学の転換点に生きている今、見届けたいと思う。  (さとい)

今年は戦後80年という節目の年にあたり、先日まで多くのメディアが戦争を特集していました。劣勢に傾いた戦況の中でも、大本営発表は都合の悪い事実を隠し、ラジオ・新聞・映像ニュースも真実を報じず、時には戦争に便乗し、利益追求のために国民を煽ったと...
08/10/2025

今年は戦後80年という節目の年にあたり、先日まで多くのメディアが戦争を特集していました。劣勢に傾いた戦況の中でも、大本営発表は都合の悪い事実を隠し、ラジオ・新聞・映像ニュースも真実を報じず、時には戦争に便乗し、利益追求のために国民を煽ったといわれています。その結果、国民には真実が伝わらないまま多くの命が失われ、沖縄地上戦、本土空襲、広島・長崎への原爆投下を経て敗戦を迎えました。これは現代の言葉でいえば「フェイクニュース」に他なりません。SNSでフェイクニュースが問題視される今も、虚偽の情報が広まる構造は80年前から存在していたのです▼嘘は「悪」とされがちですが、人間社会では驚くほど自然に使い分けられています。自己防衛のために子どもが「宿題は終わった」と言うのも、上司に失敗を隠すのも本能的な防御反応です。さらに利益を追求するため、情報を操作したり事実を覆い隠したりする行為は、社会を誤った方向に導き、時には民主主義の根幹をも揺るがしかねません▼一方で「似合ってるよ」「大丈夫」という言葉のように、人を思いやる嘘もあります。心理学的には、嘘は高度な知性の表れともされ、相手の心を推し量り、状況を計算し、自分に有利な物語をつくる力でもあります。小さな嘘が人間関係を円滑にすることもあれば、やがて大きな嘘となり社会を混乱させることもある。戦時中の大本営発表や、昨今の選挙運動に見られる誇張された言説はその典型です▼結局、嘘を完全になくすことはできません。だからこそ、情報の裏に潜む意図を見抜き、時には疑う姿勢を持つことが、私たちが情報洪水の中を生き抜くための知恵となります。そして最後に大切なのは、その嘘が「自分のため」か「誰かのためか」、「未来をよくする嘘」か「未来を壊す嘘か」。その違いを見極める力こそが、これからの時代に求められるのでしょう。そしてあなたの傍にそんな人はいませんか。  (のぶ)

自宅の書斎。本棚の多彩な蔵書に囲まれていつも温和な笑顔。ゆっくりと、穏やかな声で、昔話を聞かせてくれた。「若い時代は飲み過ぎで、オーザケのゲンと言われ、身体をこわしてしまいました(笑)。仲間達曰く、ゲンは六十であの世行きだな~と、八十過ぎち...
07/10/2025

自宅の書斎。本棚の多彩な蔵書に囲まれていつも温和な笑顔。ゆっくりと、穏やかな声で、昔話を聞かせてくれた。「若い時代は飲み過ぎで、オーザケのゲンと言われ、身体をこわしてしまいました(笑)。仲間達曰く、ゲンは六十であの世行きだな~と、八十過ぎちゃった。みんないなくなっちゃった」▼10月3日、佐藤元一会長が旅立った。享年85歳。花火・秋の章前夜の急逝だった。創業百十七年の秋田民報(旧仙北新報)。三代目の編集長兼経営者。秋田高校ではサッカー部、同志社大学新聞学科。地元の歴史、人の心、時の流れ、移ろいゆく季節を、その人柄のように、やさしく、あたたかな文章で綴った。花火への情熱はその記事で側面から熱く支えた▼~住む里の今を正しく認識したい。父さん、母さんが生きた「その時」に。感激する子に育てたいと思うから~。昨年の父の日、長女がその執筆の一部を一冊に。「一文字一文字打ち込みながら、改めて知る父の思いや、足あとを感じることが出来て、尊敬の気持ち、感謝、懐かしさ、後悔、いろんな気持ちがあふれてきました」▼タウン誌の誕生秘話が記されていた。Dプレス前身である。「まちの本をつくってみたいな。先輩や仲間と話しあった。原稿、広告協賛をお願いし、まちを走り回った。いつも背中にあたたかい激励の声を感じた。何とかして雪に打ち勝とうと努力してきた先達の汗を、私達も受け継がなければと思い、本の題名を虎落笛とした」(創刊号・昭和53年5月)。タレントの故永六輔さんが絶賛した。「文芸春秋か虎落笛か、大曲の文化は虎落笛から。タウン誌が市民運動の拠点となっていけばいい。虎落笛の奮闘を祈る」(第二号)。当欄のコラム「点滅」は逆境に挑むゴルフファーとその精神を描いた伊集院静の著書からから「むかい風」に。元気に杖をついて散歩を続けた。大好きなゴルフ「イチラウンド、やりたいなぁ」▼この夏、居間の窓枠を大きく改修し夜空を彩る大輪の花火を楽しんだ。どうぞ安らかに。舞い上がる世界一の花火を天国から見守ってください。
(花火太郎)

全県500歳野球大会が今年も大仙市で開催された。第45回を数え、県内182チームが熱戦を繰り広げた。親父たちの甲子園と言われているが、真剣勝負の中でも自然体に野球を楽しむ姿がとても印象的で格好良い▼円熟したプレーは、これまで重ねてきた基礎練...
02/10/2025

全県500歳野球大会が今年も大仙市で開催された。第45回を数え、県内182チームが熱戦を繰り広げた。親父たちの甲子園と言われているが、真剣勝負の中でも自然体に野球を楽しむ姿がとても印象的で格好良い▼円熟したプレーは、これまで重ねてきた基礎練習の賜物なのだろう。私が観戦した試合では三塁線上の鋭い打球を、いとも簡単に捕球すると矢のような送球でアウトにした三塁手は、直後は涼しい顔をしていたが、ベンチから「これはおかあちゃん惚れ直したんでねえが」とヤジられ、やっと笑みがこぼれた。ベンチに向かって帽子を脱ぎ会釈した時の髪が白髪だったので、私は慌ててパンフレットで年齢を確認したが70代後半の選手だったので、そのプレーに改めて驚いた▼今のように、500歳野球では絶妙な声掛けによって、フッと肩の力を抜かせてくれるシーンによく遭遇する。そのユーモアセンスはまさに円熟したプレーのひとつではないだろうか。少年野球や高校野球ではなかなか聞けない部分であろう▼右中間に深々と打球を放ち、ゆっくりと2塁まで走っていると相手が中継プレーをミスした。さらに進塁できるチャンスであったが、ゆっくり走っていたため3塁に進むことができずに2塁で止まってしまった。塁上で手を合わせ謝るポーズをとる選手に対しベンチでは「2塁に結婚指輪落としてしまったんだべな」「それ見捨てで3塁さは走られねえべったな」と責めることなく独特なジョークでミスを笑いに変えていた。長年の人生経験と選手間の信頼関係がなせるスーパーファインプレーに、試合後の慰労会でも活躍するのだろうと勝手に予想してしまった▼50代の「若手」が、80代の「ベテラン」にまだ青いなと笑われたり、逆に「若手」が「ベテラン」にハッパをかけたりしながら、楽しくプレーする姿を見るたび、「若手」にもまだ届かない年齢の私は、円熟の意味をほんの少し知った様な気になっている。
(たふじ)

今年も無事に第97回全国花火競技大会「大曲の花火」が終わりました。創造花火の部では、昨年内閣総理大臣賞を受賞した小松煙火工業が優勝しました。元会長の故小松忠二氏が愛した青の花火で、玉名は「追憶・青のメモリー」とし、哀悼の想いが込められた花火...
01/10/2025

今年も無事に第97回全国花火競技大会「大曲の花火」が終わりました。創造花火の部では、昨年内閣総理大臣賞を受賞した小松煙火工業が優勝しました。元会長の故小松忠二氏が愛した青の花火で、玉名は「追憶・青のメモリー」とし、哀悼の想いが込められた花火でした。きっと忠二さんも、空の上から観てくれて喜んだと思います▼そこで『創造する』とはどういうことか。米国の画家でロバート・ヘンライという人が『アート・スピリット』という本の中で、「我々の人生にはいくつかの決定的な瞬間がある。それは最高になれる瞬間である。この瞬間を何らかの形で再現したい。これが創造する意味である」と言っている。まさに花火が芸術へと昇華し、極みを高めた瞬間を表現するのが創造花火であろう。改めて発案された佐藤勲氏に敬服する次第です▼そして今年は茨木県の野村花火工業が総合点で勝り、十回目の内閣総理大臣賞の受賞となりました。私が思うに野村作品の花火は、能の世界を大成した世阿弥のこころに通じるものがあるのではないか。つまり風姿花伝でいう『秘すれば花』のこころが込められているのではないかと▼『秘すれば花』とは、秘伝にするか否かが、花があるか否かの分かれ目という。例えばマジックのたびにマジシャンがドヤ顔で「実はこれ、こんな仕掛けです」と解説したら興ざめです。しかけが判らないからマジックであり、花があります▼野村作品には勝負に勝つための戦略として、こころの花を秘し、誠の花火を咲かせる。勝つために考え抜かれた、したたかな戦略が秘められていて、野村マジックに我々は酔わされてしまうのではないかと思います▼ときめきの瞬間を具現化する花火は、花火師の更なる挑戦で、進化を遂げていくだろうと思います。ただ、煙がもっと少ない花火はできないものでしょうか。煙で隠された花火は、想像花火になっちゃいます。
(塩谷 國太郎)

毎日毎日スーパーやコンビニの棚に並ぶおにぎりや弁当の売れ残りはどうなっているのだろう。家畜の飼料などにリサイクルされて活用されているのだろうか。食料安全保障と言う。日本の食料自給率は40%だという。様々な売れ残り食品の廃棄は食料自給率の算定...
30/09/2025

毎日毎日スーパーやコンビニの棚に並ぶおにぎりや弁当の売れ残りはどうなっているのだろう。家畜の飼料などにリサイクルされて活用されているのだろうか。食料安全保障と言う。日本の食料自給率は40%だという。様々な売れ残り食品の廃棄は食料自給率の算定にどのように反映されているのだろう。賞味期限切れの食品廃棄がなくなれば食料自給率はどれほどあがるのだろう。誰か教えてほしいものだ▼「コメは日本人の主食だ」だからコメの増産体制を図るという。700万トンがめやすだそうだ。小麦は日本人の主食とはいわないが、年間550万トン消費されているという。みんなラーメンやうどんにパスタやパンなど大好きだ。根拠はないがそのような小麦の食品たちはおにぎりや弁当のように毎日大量に廃棄されていないような気がする。どうして大事な主食のコメを惜しげもなく捨てるのだろう▼増産してコメを安値で安定供給すれば政治家は受けがいいかもしれない。しかしコメの生産農家は就労人口の1%に及ばず、しかも就労者の平均年齢は70歳ぐらいだという。「これからはコメを増産して海外輸出も視野に入れる」という。こういう政治家が日本の総理大臣を目指している。クレージーなことだ▼日本の糖尿病、糖尿病予備軍は合計1,370万人と推計されるそうだ。多くは糖質大好きで塩分大好きで脂質を避ければヘルシーと思っている人々である。日本人は年間コメと小麦を100キロも食べる生活はしない方がいいのだ。コメや小麦を毎日食べる生活が、日本の医療費を増大させ続けている▼40歳以上の人は言っても耳を貸さないだろうが、子供たちに自分たちのような食習慣を身につけさせてはいけない。学校給食のあり方なども基礎から見直してはどうか。最新のエビデンスに基づいた生理学と栄養学を子供たちに教えるべきだろう。現在の迷信に満ちた食の常識を払拭できればと思う。
(古屋一彦)

今は昔、目黒の在に歌人ありけり。歌もろくろく詠まざれど、我が歌風軽妙にして洒脱、繊細にして芳醇なりー、わっはっはっ、などと戯けたことをぬかすうつけ者なり。自称愛の狩人、得手は愛の賛歌だとよ。かやうなる歌人なれど、そぞろに花のもと月の前好き歩...
20/09/2025

今は昔、目黒の在に歌人ありけり。歌もろくろく詠まざれど、我が歌風軽妙にして洒脱、繊細にして芳醇なりー、わっはっはっ、などと戯けたことをぬかすうつけ者なり。自称愛の狩人、得手は愛の賛歌だとよ。かやうなる歌人なれど、そぞろに花のもと月の前好き歩きければ嘆きて曰く、世の中にいくその花のあるけれど真の花のいかで少なし▼或る月の美しき夜、歌人ミラーボールの下に可憐な百合の花見つけたり。スタイルキュッキュッ。まさしく立てば芍薬座れば牡丹、踊る姿は百合の花。オッ、すっげータイプじゃん。一目会ったその日から、恋の花咲くこともある、見知らぬアナタと見知らぬアナタ。これは放っちゃーおけませんぜ▼歌人早しく花の前にひざまずき両手を捧げて曰く、秋の月百合をさやかに照らせるは真の花の色を見よとか。また曰く、恋すれば我が身は月となりにけり雲な懸かりそ君を照らさむ。女、やがて返して曰く、照らす月なければ花も散りぬべしほかのあだ花月な照らしそ。また曰く、月に咲く花の命は短けれ今がめで頃プリンプリン。ウッシャーッ、歌人百合の花をゲット。ガッツポーズをとりたれば意気やうやうと自宅マンションにお持ち帰りしけり▼ブレイクタイム。前周期―後周期複核錯体の合成とそれを用いたオレフィンの立体規則性重合。アミド架橋二核ロジウムおよびイリジウム錯体を前駆体とする新規混合金属クラスターの合成・構造・反応性について…現代語も難しいのお▼さて、しかる後、女曰く、燃え尽きたそのあと私は死にたいわ気だるい命このままにして。ウワーオ。歌人あな麗しあないとほしと思へば詠みて曰く、愛すれば愛し愛して愛されて愛して愛して愛しちゃったのよ。この歌、彼の歌人最大の駄作となりにけり▼船べりに頬杖ついて月見かな。あの頃君はバカだった。
(伊藤 肇)

「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、今日は九月十一日ですので後一週間程で「彼岸の入り」です。このころ二十四節気では「白露」です。昼夜の気温差が大きくなるころで、朝夕には露が降りるようになります。昔の人はこの草木などに降りる露を「白露」と名づ...
19/09/2025

「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、今日は九月十一日ですので後一週間程で「彼岸の入り」です。このころ二十四節気では「白露」です。昼夜の気温差が大きくなるころで、朝夕には露が降りるようになります。昔の人はこの草木などに降りる露を「白露」と名づけたのです。「白(しろ)い露(つゆ)」と読ませず「白露(はくろ)」とよんだのです。何とも風情があります。早朝の空が明らむころに見られた露は、太陽が昇るとき姿を消します。草木や土の匂いも露とともに消えてしまうのです。このはかなさが秋らしいのです。物思いにふけ、なんとなくものがなしく、情緒豊かで感傷的な人々には何とも言えない愛する季節なのであります▼そして、お彼岸の「中日(ちゅうにち)」「秋分の日」となります。二十四節気「秋分」は「春分」と同じく、昼夜の長さが同じくなりますが、春分に比べると気温が高く、夏らしさも残るのですが、この日を境に陽は弱く、少しずつ短くなりだんだん冬へと近づいていくのであります。「中秋の名月」はこの前後です。虫の音に包まれながらのんびりと夜空を眺め、月が出てくるのを待つのです。新月・二日月・三日月・上弦の月・十日月・十三夜・宵待の月・十五夜・十六夜・立待月・居待月・寝待月・更待月・下弦の月・有明の月・つごもり(月齢三十)と毎日姿を変えて出てくるお月様は今日も変わらず登場します。きっと今も昔も変わらないお月様なんですよね。夏の疲れを癒す「夜空」からの贈り物なのかもしれません。日本人は十五夜の満月のお月様に、ススキ・だんご・リンゴ・ブドウなどの果物・栗の実などをお供えしてお月様を拝みます。月を愛でる十五夜は、唐時代の中国から伝わった月見の祭事と、日本古来の月を祭る習わしが合わさったもです▼『静かな静かな 里の秋 おせどに木の実の 落ちる夜は ああ母さんと ただ二人 栗の実煮てます 囲炉裏端』秋の夜は静かに更けてゆくのです。  (永・良)

天まで届きそうな一筋の煙。無風の時なら決して大げさな表現ではない。それほど真っすぐに立ち上がる線香の煙。天までは無理でも天国までなら届きそうだ。幹線道路の喧騒は打ち寄せる波の様に近くなっては遠ざかっていく。繰り返される喧騒の合間のほんの僅か...
18/09/2025

天まで届きそうな一筋の煙。無風の時なら決して大げさな表現ではない。それほど真っすぐに立ち上がる線香の煙。天までは無理でも天国までなら届きそうだ。幹線道路の喧騒は打ち寄せる波の様に近くなっては遠ざかっていく。繰り返される喧騒の合間のほんの僅かな静寂はとても短いが、これに無風が重なると俗世界から一瞬なりとも遠のいた気分になる。これが浄土の入り口?などと愚かな思考に陥るのは、この途轍もない静寂のせいに違いない▼何年ぶりの大川寺だろうか。私はこの寺の檀家ではないから、この境内に入る機会は殆どない。前回同様、お盆を避けての墓参りである。人と出くわす煩わしさを回避できるし、何と言ってもこの静けさが良い。56才という若さで他界したF君のお墓は山門から程遠くない左手にある。由緒ある家柄の墓地なのに心なしか荒んでいる様に感じたのは、私の歪んだ先入観のせいだろうか?▼葬儀社の一室に横たわる彼の喉元はまだ暖かかった。「葬儀は親族のみで行います」二ヶ月後に〝偲ぶ会〟が行われた。結婚式でのスピーチは何度も経験していたが、偲ぶ会でのスピーチは初めてだった。あれから早や12年。13回忌である▼彼の自宅は大曲駅のすぐ近くにあった。学生の分際で、いつも会社の倉庫から入れる応接室直行だったせいで、F家の玄関を全く知らない。応接室には旧大曲市の初代市長(彼の祖父)の胸像が鎮座し、オーディオの二体のスピーカーが狛犬の様に両脇を固めていた。向い側のサイドボードには沢山の洋酒が近衛兵の様に整列していた。のん兵衛の私にはたまらない空間だった。ウィッシュボン・アッシュ、ジェフ・ベック等…次から次へとF君お気に入りの曲に針が落ちる。彼の好きな曲は全て、ギターの〝泣き〟が入っていた▼「君は今何処にいるのだろう?」線香の煙が突然大きく揺らいだ。微風にのって境内の緑の仄かな香りと共に私の頬を掠めたのは、キリンビールの香りだった。(かまだ しゅん)

住所

大曲栄町10/22
Daisen-shi, Akita
014-0061

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
火曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
木曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00

電話番号

+81187632122

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