
08/07/2025
旧六郷町の黒森峠については以前本欄に書いたように記憶しているが、その峠を正岡子規が登って下ったというのは半年ほど前に知った。そういうわけかどうかはともかく先月は岩手県側の西和賀町にある県道十二号線を走ってみた。県道一号線を北上してさわうち病院の手前を左折すると県道十二号線であった。道は舗装されていて数kmばかり行くとゲートがあって冬は通行止めなのだろう。ゲートに向かって左に子規の句碑があった。「蜩や夕日の里は見えながら」。数日後に今度は六郷側から自動車で登ってみた。こちらも峠の手前の行き止まりまでは舗装されている。行き止まりから右折すると名もなき道で大松川ダムに出る。子規はここで「蜻蛉を相手に登る峠かな」を作ってその句碑があることになっているが上りにはそれを見つけることができなかった。三kmほど下ったところに駐車場とトイレがあってそこに句碑はあった。上りは法面が邪魔して見えないのであった。ただこの句は岩波文庫の「子規紀行文集」の「はて知らずの記」には見当たらないようだ。子規自らが削ったか。この県道は未完成のまま現在に至っている。なんでも日清戦争に予算を回して資金がなかったという。もったいないことであった。子規はここを通る前の日に秋田市から人力車にのって大曲まで来て大曲に一泊している。それがどこであったのか私には知る由もないが当時のことだから花館のあたりであろうか。峠を下った子規は湯本温泉に一泊して翌日黒沢尻(北上市)で一泊している。当時湯田ダムはなく子規はこの辺りを「風光絶佳、雅趣掬すべく誠に近国無比の勝地なり」と賛美している。今でもこの辺りは美しく高速で通り過ぎるのは実にもったいないのである。
(酔子)