
04/05/2024
久しぶりに宮沢賢治です。賢治は恐竜発見を予言していた?…『楢ノ木大学士の野宿』
賢治が詩人の草野心平に宛てた手紙に中で「自分は詩人としては自信がないが、一個のサイエンティストとしてだけは認めてもらいたい」と書いているそうです。その<サイエンティスト賢治>が遺憾なく発揮されている童話がこれだと言って良いでしょう。
第一夜の夢はマグマが冷え固まって出来る岩頸(がんけい)という山についての話、第二夜の夢は花崗岩を構成する鉱物についての話、地学や鉱物に興味のある人々にとっては興味深い話なのでしょうが、門外漢の私にとっては少々難しいというのが正直なところです。
ただ第三夜の夢だけは、大好きな恐竜が登場してくる話なので、私もすこぶる興奮しました。
大学士は海岸で恐竜の足跡化石を追いかけているうちに、白亜紀にタイムスリップしてしまいます。タイムトンネルのような洞窟に野宿すると、目の前に現れた恐竜に襲われ、そしてその恐竜に食われそうになった瞬間に大学士は目が覚めるのです。ここに登場する恐竜はカミナリ竜と呼ばれていますが、正式の分類では竜盤目(りゅうばんもく)竜(りゅう)脚(きゃく)類(るい)で、ブロントサウルスのような首の長い大型草食恐竜の事です。
賢治がこの物語を書いた当時、その地脈構造上、日本にはかつて恐竜が存在しなかったと信じられていたそうです。しかしひょっとすると、賢治は日本での恐竜の存在を信じていたのかもしれません。と言うのも賢治が亡くなって45年後、日本で初めて恐竜の前脚の骨が発見され、しかも発見場所は賢治の愛するイーハトーブ…岩手県の三陸海岸・岩泉町茂師でした。その恐竜はモシリュウと名付けられますが、この童話に出て来るカミナリ竜と同じ竜脚類だったのです。
古生物学者・長谷川善和氏によると、『楢ノ木大学士の野宿』のカミナリ竜はモシリュウと産地も種類も同じと考えられるそうです。賢治はヨーロッパで発見される恐竜の地層と三陸海岸の地層が同じであることを知っていました。茂師の海岸が中生代白亜紀の地層で、白亜紀には恐竜が棲んでいたことを賢治は知っていたのでこの物語を思い付いたのではないかと、長谷川氏は考えるのです。
賢治は白亜紀地層のイギリス海岸でクルミの化石や動物の足跡の化石を発見しているくらいの地質学専門家でしたから、ひょっとすると彼は日本での恐竜発見を予言していたのかもしれません。
ところでモシリュウが日本で発見された最初の恐竜化石と言うのは正確でありません。と言うのも、南樺太が日本領だった1934年(昭和39)にニッポン竜という化石が日本人によって発見されているからです。さらにこの恐竜発見地も賢治に少々関りがある所なのです。トシ子の亡くなった翌年、賢治は樺太の最北駅まで旅していますが、その駅近くの建設現場でこの恐竜化石が発見されたからです。最後に、恐竜の絵を私の大好きな肉食恐竜Tレックスで描いた事をご了解いただければ嬉しいです。