今こそ永遠(fm軽井沢)

今こそ永遠(fm軽井沢) 音楽、芸術、文学、ゲストとのトークなど、文化溢れる軽井沢町への敬意?

Xmas(クリスマス)の日に関して。3世紀までのキリスト教は、12月25日をクリスマスとして祝ってはいませんでした。まだキリスト教を受け入れていなかったローマ帝国では、12月25日は太陽崇拝の特別な祝日。太陽崇拝としてのミトラス教の主祭日が...
30/12/2021

Xmas(クリスマス)の日に関して。
3世紀までのキリスト教は、12月25日をクリスマスとして祝ってはいませんでした。まだキリスト教を受け入れていなかったローマ帝国では、12月25日は太陽崇拝の特別な祝日。太陽崇拝としてのミトラス教の主祭日が「冬至」に当たる12月25日です。この日は、自然エネルギーがもっとも衰え上昇へと転換する分岐点の日でもあり、同時に死者の祭りでもありました。人類学者のレヴィ=ストロースも著作で語っています。
冬至の時期、太陽はもっとも力を弱め、世界はバランスを失います。そのとき、生者と死者の力関係のバランスが崩れることで、生者の世界に死者の霊が出現すると考えられました。生者は、そこで訪れた死者の霊を、心を込めてもてなし、贈り物を与え、彼らが喜んであの世に立ち去るようにもてなします。そうした死者の霊の代理を生者の世界でつとめたのが子どもたちです。子どもはあの世や精霊に近い存在です。大人は、子どもを通じて死者への贈り物をする必要があり、そのためにサンタクロース「遠方からやって来るやさしい老人」を媒介としていました。子どもに贈り物を渡す存在は、子どもと同様に霊界に近い存在、つまり老人や翁の存在が必要となりました。
大人は子どもに贈与し、そのお返しに子どもは大人たちの社会に、未来に対して来年の豊穣や豊かさ、幸をお返しするのです。クリスマスにおいて、生者と死者の間には、贈り物を通じたコミュニケーションが発生します。それは日本のお盆の儀式にも似ています。クリスマスとは死者をもてなし、死者のいのちを受け取る祭でもありました。
今は亡き人を想い、死者の命を受け取るのが年末の重要な再生の儀式です。みなさんは、どういう死者を思い出したでしょうか?
ラジオの最後の曲は、
「(Just Like) Starting Over」(1980年)(作詞・作曲:ジョン・レノン)(1980年:『ダブル・ファンタジー』)
にしました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作アルバム「Double Fantacy」に収録されている曲です。
ジョンが5年ぶりに音楽活動を再開した1980年10月に、シングルとしてリリースされましたが、ジョンの生前にリリースされた最後のシングルともなりました。
「Starting Over」とは、「新たな始まり」、「再出発」、「やり直し」を意味します。
ーーーーーーーーーー
毎日、僕らは愛し合ってきたけど
心地よく、やさしく愛し合っていこうよ
今こそ、翼を広げて羽ばたく時
これからの日々を無駄にはしないよ、愛する君
それはまるで、新しい始まり、新しい始まりなんだ
ーーーーーーーーーー
ジョンの最後の曲は、はじまりと終わりとが、生と死とがメビウスの輪のようにつながった曲で、この曲を遺してあの世に旅立ったジョンの曲を聴いて、みなさんは何を感じ、受け取るでしょうか。

ということで。
ラジオの最終回は、ジョンやビートルズの話で終わりました。
ジョンとヨーコが滞在した軽井沢に敬意を込めて。

また、どこかでお会いしましょう!

●John Lennon Just Like Starting Over
https://youtu.be/1bEuIWVn9-c

12/26日曜は、FM軽井沢のラジオ「今こそ永遠」、全12回の最終回でした。最終回に何を話すかということで、やはり軽井沢に縁のあるジョンレノンの話をしました。ビートルズは学生の時から聞いていますが、いまだに奥が深く、語りつくせません。マジカ...
30/12/2021

12/26日曜は、FM軽井沢のラジオ「今こそ永遠」、全12回の最終回でした。
最終回に何を話すかということで、やはり軽井沢に縁のあるジョンレノンの話をしました。
ビートルズは学生の時から聞いていますが、いまだに奥が深く、語りつくせません。マジカルな力が泉のように湧き出ています。
ビートルズの魅力を語る上で、「5人目のビートルズ」を共有したいと思い、ラジオで話しました。

・・・・・・
ビートルズは4人組のバンド(ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ)ですが、ビートルズデビュー直前に夭逝したスチュアート・サトクリフという人の存在が、大きな影響を与えているのではないかと思います。若者だったビートルズが、サトクリフのいのちを受け取った。そのことで異界の窓が空き、不思議なコードを受け取るように天界の音楽を作るようになったのではないかと、ずっと思っています。
スチュアート・サトクリフはビートルズのバンドに加入していた美大生でジョンの親友ですが、1962年に22歳の若さで亡くなりました。リヴァプール・カレッジ・オブ・アートではスター的存在で、ジョン・レノンとは共同生活をするほどの親友でした。その仲の良さにポール・マッカートニーが嫉妬していたほどです。ジョンが彼とバンドをしたいとのことで無理やりバンド活動に引き入れました。
ドイツのハンブルクに演奏旅行で行ったとき、サトクリフは写真家のアストリッドと出会い、後に婚約します。
2度目のハンブルク巡業後、サトクリフは画家の道に進むことを決め、ビートルズを脱退します。音楽を辞めてハンブルク美術大学に入りますが、1962年に脳出血で突然死するのです。それは、ビートルズ3回目のハンブルク巡業前日のことでした。
ジョン・レノンは、サトクリフをもう一人の自分のような存在だったと語り、サトクリフの遺品であるマフラーは終生手放さなかったとヨーコは語っています。

ちなみに、ビートルズのトレードマークであるマッシュルームカットは、アストリッドがサトクリフに施したのが始まりです。
この辺りの経緯は、映画『バック・ビート』で紹介されています。

「With the Beatles」(2作目)のジャケット写真はまるで遺影のように闇から浮かぶ不思議な写真で、カラー写真が多いレコードジャケットで物議をかもしたと言われています。
実際、4歳の我が子も、このジャケットにはただならない霊的な雰囲気を感じ、近寄ることすらできなかったほどです。
この写真は、サトクリフが亡くなったことを聞いた後、彼のアトリエで呆然と佇むジョンやジョージをサトクリフの婚約者だったアストリッドが撮影した写真がモチーフです。まさに、サトクリフという死者への思いを表現するかのように。
また、世界で最も売れたとされる8枚目の「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のジャケット写真にも、左上に若きサトクリフの写真が載っています。

その後のビートルズから、わたしはあらゆる形でサトクリフの「いのち」の形を感じ続けています。あなたは光のようにここに重なっているよ、と、画家であったサトクリフの才能を重ね合わせるように。
4人のビートルズも、それぞれ親の死など孤独を抱えた若者たちで、彼らなりに「いのち」を受けとり、孤独を隠さずに4人がハーモニーとしてぶつかりながら不思議な調和をして、それこそがビートルズの魅力です。ジョンとポールの音域に、ジョージの聲は倍音のように重なり、不思議なハーモニーを奏でるのです。
サトクリフの「いのち」は、ビートルズの楽曲に深く入り込み、そのことがビートルズやジョンの異次元の魅力となり、深みと翳りを付与しています。
光は、影と統合することで高次の光となるように。

・・・・・・・・
1曲目にご紹介した曲は、
「Happy Xmas (War Is Over)」(3:34)(1971年)(作詞・作曲:ジョン・レノン&オノ・ヨーコ)です。
========
So this is Christmas
And what have you done?
Another year over
And a new one just begun
今日はクリスマス
あなたはどんな1年を過ごしたの?
また1年が終わり
新しい年が始まる
And so this is Christmas
I hope you had fun
The near and the dear ones
The old and the young
そして今日はクリスマス
楽しんでくれてるかな
身近な人も、親愛なる人も
お年寄りも、若者も
A very Merry Christmas
And a happy New Year
Let’s hope it’s a good one
Without any fear
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
良い1年にしよう
怖がらなくていいような
And so this is Christmas (War is over)
For weak and for strong (If you want it)
For rich and the poor ones (War is over)
The road is so long (Now)
そして今日はクリスマス(戦争は終わる)
弱者も強者も(あなたが望めば)
金持ちも貧乏人も(戦争は終わる)
遠い道のりだけど(今すぐに)
And so happy Christmas (War is over)
For black and for white (If you want it)
For yellow and red ones (War is over)
Let’s stop all the fight (Now)
そして今日はクリスマス(戦争は終わる)
黒人も白人も(あなたが望めば)
黄色い人も赤い人も(戦争は終わる)
争いはもう止めよう(今すぐに)
========
War is over 
If you want it
ここでの「War(戦争)」は、実際の戦争のことも指していますが、概念(Concept)としての「War(戦争)」も意味していると思います。

つまり、物事を解決するときに、闘いや争いにより、戦争のメタファーを使ってわたしたちが物事を解決している限りは、この世から戦争は終わらない、と。
実際、国同士の戦争も、結局は人為的なものです。
指導者も役人も、すべては人です。

わたしたち人間の頭の中から「War(戦争)」というコンセプトがある限り、この世から「War(戦争)」はなくならない。だからこそ、「If you want it」、あなたが本当に望み、実践し、あなたの頭の中から「War(戦争)」がなくなれば、「War is over(戦争は終わる)」と言っているのだと。

そのことは医学の領域でも同じです。体の中で戦争が起きていて、体が戦場である。と考えている限り、「戦争のメタファー」の呪縛から逃れられないのではないかと思います。それよりも、数十億年続く「いのち」の奥深い本質をこそ、見つめる必要があるのではないだろうかと。戦争ではなく、むしろ多様性と調和こそが、いのちの本質だと思います。
『happy Christmas (War is over) For black and for white (If you want it)』を聞くたびに、そうしたことが頭に浮かびます。

●Happy Christmas(War is Over)-by John Lennon
https://youtu.be/Xbdyg51MVbg

Happy Christmas(War is Over)-by John LennonSo this is ChristmasAnd what have you doneAnother year overAnd a new one just begunAns so this is ChristmasI hope ...

はじまりは、常に新しい対話からこそ、はじまります。対話の場(「同意」ではなく「理解」の場)を作り続けることが、健康的な場を育てていくために大切だと思います。 原始的な対話の場を想像してみてください。人類が言葉を生み出し、意思疎通がしやすくな...
29/11/2021

はじまりは、常に新しい対話からこそ、はじまります。

対話の場(「同意」ではなく「理解」の場)を作り続けることが、健康的な場を育てていくために大切だと思います。

 原始的な対話の場を想像してみてください。人類が言葉を生み出し、意思疎通がしやすくなった太古の時代です。焚火を囲みながら、「どうやってこの過酷な自然を生き抜いていこうか」と、人や家族が集い、共に悩み切実に真剣に考え続けてきた歴史があります。そうした対話の結果、個人の利益だけで集う「群れ」の時代から、個人と場の利益を共に尊重できる「共同体」や「社会」という機能的な人間関係の場が形成されていったはずです。それは対話のプロセスの結果です。

 対話(ダイアローグ)は、独白(モノローグ)の応酬のように一方通行のやりとりを指すものではありません。お互いに内面の変化が起き、関係性も変化していく創造的な場です。
既に知っている自分の知識を提供するモノローグではなく、対話により未知の自分を発見し、対話を介して未知の自分を発見します。自分と相手を新しく発見することで、お互いの心は強く動き、心の世界で深い共鳴や共振が起きます。

対話はただのおしゃべりと違います。対話にはルールが必要です。

例えば、「未来を語る」、「相手を肯定する」、「フェアで安全な場」をつくる、というルールだけを共有して対話を進めてみてはいかがでしょうか。

 わたしたちは、対話の結論を急ぐのではなく、創造的な対話が成立する場を作ることが先決です。「未来を語る」ことで対話を前へ前へと推進させていき、「相手を肯定する」ことでお互いの存在や人生観を尊重し、「フェアで安全な場」を保ち続けることで開かれた自由な表現の場が生まれます。対話の場のちょっとした初期条件の工夫で、対話の質が変化し、お互いが深く理解しあう場が立ち上がります。
 

 自然豊かな軽井沢もまさにそうした先人の対話の歴史で受け継がれたものです。対話のある場が信頼の土壌となり、お互いの善意や優しさが呼びさまされる町として受け継がれるのだと思います。
 100年後の未来を考えることは、わたしたちが「よき祖先」になれるかどうかの試金石だと思います。

 最後に、 ビートルズのアルバム『Rubber Soul』から、If I Needed Someoneをお送ります。ジョージ・ハリスンの曲です。
翌年にハリスンの妻となったパティ・ボイドに向けて書かれた楽曲で、3声のハーモニーと12弦エレクトリックギター、リッケンバッカー・360/12で演奏されたギター・パートが特徴です。

●George Harrison sings "If I needed someone" (HQ audio)
https://www.youtube.com/watch?v=yne7OCeNR8s

●The Beatles - If I Needed Someone (Mashup Video)
https://www.youtube.com/watch?v=A8dLntONeIA

ビートルズの音楽も、色々な音が同時に重なることで複雑な倍音を出し、豊かになります。
対話も、そのように多様な人が重なることで損なわれるのではなく、深まるようにありたいものです。
 
●1曲目:カーペンターズ「We've Only Just Begun(愛のプレリュード)」(1970年)作詞・作曲 ポール・ウィリアムズ、ロジャー・ニコルズ(アルバム『Close to You(遙かなる影))カーペンターズ(1970年))(3:04)
●2曲目:ビートルズ「If I Needed Someone」(1965年) 作詞・作曲:ジョージ・ハリスン(アルバム『Rubber Soul』)(2:23)

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The Beatles / If I Needed Someone -

If I needed someone to love
You're the one that I'd be thinking of
僕が恋に落ちたのなら
その相手はあなたの他には考えられないね
If I needed someone
If I had some more time to spend
もし僕が恋に落ちたならね
もしもっと時間があったなら
Then I guess I'd be with you my friend
If I needed someone
そのときはきっとあなたと一緒に過ごすんだ
もし僕が誰かと一緒に思ったならね

Had you come some other day
Then it might not have been like this
あなたと過ごしてきた日々が別のものだったら
こんな気持ちにはならなかったのかもね

But you see now I'm too much in love
Carve your number on my wall
でももう僕はあなたに惚れてしまったんだ
僕の壁にあなたの番号を刻む

And maybe you will get a call from me
If I needed someone
Ah, ah, ah, ah
そしてきっといつか電話をかけるね
恋しい気持ちに僕がなったらさ
If I had some more time to spend
Then I guess I'd be with you my friend
もしもっと時間があったなら
そのときはきっとあなたと一緒に過ごすんだ
If I needed someone
Had you come some other day
もし僕が誰かと一緒に思ったならね
あなたと過ごしてきた日々が別のものだったら
Then it might not have been like this
But you see now I'm too much in love
こんな気持ちにはならなかったのかもね
でももう僕はあなたに惚れてしまったんだ
Carve your number on my wall
And maybe you will get a call from me
僕の壁にあなたの番号を刻む
そしてきっといつか電話をかけるね

If I needed someone
恋しい気持ちに僕がなったらさ
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2021年の1月から毎月放映し、2021年12月で一度ラジオは終了になります。

感染症で大変な時期に、町民の方をなんとか勇気づけたいと思い、とりあえず1年と思いはじめたのでした。

ちなみに。12月は、12/26(Sun)(AM10:30-10:55)です。

This video was made by me (Kitsu) using both 1966 Budokan Concerts."If I Needed Someone" is a song by the English rock band the Beatles, written by George Ha...

FM軽井沢のラジオ番組「今こそ永遠」11/28(日)AM10:30-10:55の放映を聞いてくれた方、ありがとうございました。11月は現代における重要なテーマである「対話」をテーマにお話ししました。「ことば」とは不思議なものです。日常的に「...
29/11/2021

FM軽井沢のラジオ番組「今こそ永遠」

11/28(日)AM10:30-10:55の放映を聞いてくれた方、ありがとうございました。

11月は現代における重要なテーマである「対話」をテーマにお話ししました。

「ことば」とは不思議なものです。日常的に「ことば」を使っているものの、無意識に「ことば」に縛れてもいます。
自分の「ことば」を一番よく聞いているのは自分だからこそ、自分の「ことば」に最も影響を受けているのも自分自身でしょう。

だからこそ、暴力的な言葉ではなく、優しく柔らかく親切な言葉を使うことが、周囲だけではなく自分自身の心の土壌にも大切なことです。それは家族のような親しい間柄であっても同じです。

そして、言葉を使うもので重要なことが対話です。
対話において大切なことは「同意する」ことではなく「理解する」ことです。
相手の言うことに「同意」できなくても、「理解」することはできます。理解するための対話の場が失われていることが、自分内部や他者との分断を生んでいるのではと、危惧しています。
何も考えずに相手の意見に同意するのではなく、他者の考えを深く理解する。「理解」なき「同意」だけを求める場は、戦時中の全体主義を想起させるものです。

対話は「理解」こそが重要であり、「対話」と「同意」の誤解はあらゆる現場で起こっています。

 もともと、「互いを理解する場をつくる」ことが、巨大化し複雑化していき、場が生まれ、町や共同体へとつながったのだと思います。
人と人が集うだけで「場」が生まれます。自分が求めているものを理解し、相手が求めているものを理解する。お互いが理解しあうことで、そこでしか生まれない新しい場が芽吹いてきます。ただ相手に同意し続けるだけでは、お互いの真の理解へと至ることはなく、場は深まりません。

1曲目でご紹介する曲は、
カーペンターズ「We've Only Just Begun(愛のプレリュード)」
です。

●carpenters -We've Only Just Begun
https://www.youtube.com/watch?v=__VQX2Xn7tI

カーペンターズの2枚目のアルバム『Close to You(遙かなる影))1970年の曲です。

歌詞は、わたしたちはいつでもはじめることができる、という意味です。
まさに対話も、今からこそはじめることができるものです。

========
We've only just begun to live
White lace and promises
A kiss for luck and we're on our way
We've only begun

わたしたちの人生はまだ始まったばかり
白染めのレース 愛の誓い
幸運の口づけ そして人生が動き出す
わたしたちはまだ始まったばかりなのよ

Before the rising sun, we fly
So many roads to choose
We start out walking and learn to run
And yes, we've just begun

太陽が昇るよりもまえに飛び立つわたしたち
多くの迷いに出会うことでしょう
わたしたちは歩きはじめて やがて駆け足も覚えていく
そう わたしたちはまだ始まったばかり

Sharing horizons that are new to us
Watching the signs along the way
Talking it over, just the two of us
Working together day to day
Together
Together

新しい地平線を一緒にみて
道の傍らにある人生の意味に目をむけて
それがわたしたちのためにあると受け止めるのよ
そして日々を共に働いて生きる
一緒に
そう ずっと一緒に

And when the evening comes, we smile
So much of life ahead
We'll find a place where there's room to grow
And yes, We've just begun

夜がやって来たなら わたしたちは笑えばいい
これから先 長い人生が待っているわ
そこで安らかな場所を二人でみつけていくのよ

========

MTV

アドラーが語る教育に関する話題に戻ります。自分だけではなく、仲間や同僚へと関心を広げることも教育の役割です。仲間を認め、調和し、貢献する。自分の存在そのものが他者に貢献していると感じられる。自分が全体に影響を与えていると感じられる。ある状況...
01/11/2021

アドラーが語る教育に関する話題に戻ります。

自分だけではなく、仲間や同僚へと関心を広げることも教育の役割です。
仲間を認め、調和し、貢献する。自分の存在そのものが他者に貢献していると感じられる。
自分が全体に影響を与えていると感じられる。

ある状況が自分にとってどうか、とまず考えるのではなく、皆にとってどうかと考え、どう自分が貢献できるかと考えることが、健康なパーソナリティや幸福であることの条件です。
たとえば、交通ルールを破ることがいけないのは何故でしょうか。それは罰金や罰則があるからではありません。共同体の中でルールを破ることが他者の安全を侵害することにつながり、自分がルールを守ることで全体の安全に貢献しているからです。そうした共同体への意識を育てる事にも、教育は寄与しています。

自分の力で自分の課題に立ち向かう援助を。
そして、力ではなく言葉で問題を解決できるように。

子どもと大人は同じではないけれど対等な存在です。対等に横の関係をつくりながら協力し合うことが必要です。
大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか、なのですから。

人生の意味は自分で決める。

教育の目的は、こどものときから誰の真似もせずに、いつでも「あなた自身でいるように」助けることに、尽きると思います。
そのためには、まず自分自身がそうあるように。自戒を込めて、思います。

最後に、 UA「黄金の緑」(2007年)をお送りします。

「噂の七色がこの星にかかる サヨナラ 宇宙船また来て 黄金の緑を育てる人達が 二度と無いこの地球に暮らすよ」

わたしたちの真の共同体は地球です。
地球に黄金の緑を共に育てていけるように。

また、次回お会いしましょう。

パーソナリティは稲葉俊郎でした。

●UA「黄金の緑」
https://youtu.be/8DeZ7Y6F6gU

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第10回 今こそ永遠
1曲目:Elton John「Your Song(僕の歌は君の歌)」(1970年)作詞・作曲:Elton John(アルバム『Elton John』)
2曲目:UA「黄金の緑」(2007年) 作詞:UA、作曲:内橋和久(アルバム『Golden green』)

Listen to UA: https://jvcmusic.lnk.to/_UASubscribe to UA’s channel: http://www.youtube.com/c/UAofficialchannelFollow UA:https://www.facebook.com/uauaua.jpht...

2021年10月31日の「今こそ永遠」。お聞きいただいてありがとうございました。オーストリア出身の精神科医アドラー(1870~1937年)の考えを軸にして、育児や教育において大切なことを共に考えたいと思います。アドラーは、育児における行動面...
01/11/2021

2021年10月31日の「今こそ永遠」。
お聞きいただいてありがとうございました。

オーストリア出身の精神科医アドラー(1870~1937年)の考えを軸にして、育児や教育において大切なことを共に考えたいと思います。

アドラーは、育児における行動面の目標として、(1)自立する、(2)社会と調和して暮らせる、の二点を挙げています。

そして、行動を支える心理面の目標に、(1)私は能力がある、(2)人々は私の仲間である、の二点を挙げています。

能力があるとは、自分の人生の問題を自分の力で解決できる、という意味です。
誰もがそうした能力を備えていますが、そう感じられない場合は自分自身への信頼を回復する必要があります。

学校でも職場でも、こうした素朴なことを思い出し取り戻すことが教育の役割です。

わたしたちは、無意識に「感情をある目的のために使う」ことがあります。
例えば、相手を動かそうとして感情を利用する。そのために「怒り」を作り出す場合があります。例えば、怒鳴るために腹を立てる、
他にも、外へ出ないために不安という感情をつくる、など。

わたしたちは、感情があって行動を起こす、と考えやすいのですが、行動を起こすための起爆剤として感情を作り出して利用する場合があります。
自分の感情と行動との関係性は盲点になりやすく、不適切な行動と紐づいた感情を見直さないと、問題行動は果てしなく繰り返されます。

では、感情と問題行動との悪循環を断ち切るにはどうすればいいでしょうか。
そのためには、とにかく「適切な行動」に注目し続けるしかありません。そのことで不適切な行動は減ります。なぜなら、不適切な行動で注意をひく必要がなくなるからです。

不適切な行動の根源には、「私は能力がある」と思えず自信を失っている場合が多いのです。
自信を回復するために、適切な行動をしたときに「自分には課題を達成できる能力がある」と感じられる心理的なサポートが必要です。
そのために、喜びを共有し気持ちを伝えることが大切です。
当たり前と思って見逃しがちな行為にこそ、ありがとう、うれしい、助かった、と肯定的なメッセージをかけるのです。
もしあなたが気恥ずかしいと感じるならば、その感情はまず自分自身が克服すべきものです。

心にもない言葉をかけると嘘はすぐに見破られます。心からそうした言葉を発せるように、当たり前を当たり前と思わない感性や、嘘のない誠実な態度が援助者にも必要です。

今回1曲目でご紹介する曲は、
Elton John「Your Song」(1970年)です。

歌詞の中にこうした一節があります。
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僕からの贈り物はこの歌だよ そして、これはきみのための歌なんだ
みんなにもきみの歌なんだって言っていいんだよ
シンプルすぎるかもしれないけれど、もうできてしまったから
あんまり気にしないでくれたらいいな
僕の書き下ろした言葉だってことも、そんなに気にしないでね
きみがいる世界に僕も生きられるなんて、素敵なことさ
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「Your Song」の邦題は「僕の歌は君の歌」。
つまり、歌を介してわたしとあなたが何か大切なことを共有していくプロセスのことをうたっています。

●Elton John - Your Song (1970 Original Video) (HD 720p)
https://youtu.be/CrznwpD-2tk

I hope you don't mind

発達障害の話に戻ります。症状や問題行動とされる中には、治ろうとする力が秘められており、その人の強みがあると述べましたり。症状の中に可能性を発見し、そこに潜む能力を活用する発想が大事なことです。たとえば、暴力行為という問題行動を行う人は、暴力...
29/09/2021

発達障害の話に戻ります。

症状や問題行動とされる中には、治ろうとする力が秘められており、その人の強みがあると述べましたり。
症状の中に可能性を発見し、そこに潜む能力を活用する発想が大事なことです。

たとえば、暴力行為という問題行動を行う人は、暴力が誤った自己治療法になっていることが問題なのです。
たとえば、閉じこもりという症状も、1日1時間と決めて閉じこもることでゆるやかな自己治療として機能し始めます。誰もが、安心して脳を休める時間を必要としていますが、引きこもることで脳が安らぐ時間をつくっていると考えるのです。閉じこもる人は、外からの刺激量を減らす必要がある脳体質だと考え、脳を守る練習をすることが自己治療へつながります。

自分にとっての「自己治療」が正しい方向に向かえばいい。
自分を幸福にし、他者を幸福にする自己治療を発明する必要があります。

芸術活動や音楽は、こうした自己と他者と社会を同時に幸福にする自己治療として、残ったものかもしれません。

自然に生まれてきた症状は、自分の力で創造したものです。そこにこそ、個人の特性があります。
苦しい時をなんとかしのいできた過去のなかにこそ、未来へて役に立つ種があります。その力を発見し伸ばしていくことが適切な自然治癒力へつながります。

相手の未来を思い描きながら、元に戻すのではなく、未来に向けての援助を行うことが医療やケアにおいて大事なことではないでしょうか。

その人はその人のように生きれば健康です。

方向性を迷ったときには、何にも染まっていない赤ん坊のころ、3歳くらいの自分を思い出し、戻りましょう。そこからまた生きなおすように。

子どもを見ていると感じますが、人間の原点は「楽しく生きよう」というものです。
どんな環境でも楽しく過ごすことを考えるもの。大人のようにイライラせず、工夫して創造して楽しみを工夫して生み出して生きるのが、人間の原型です。

今一度、自分自身にとっての健康とは何か、立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。

最後に、Mr.children「蘇生」(2002年)をお送りします。
『IT'S A WONDERFUL WORLD』(2002年)の冒頭の曲です。

「胸を揺さぶる憧れや理想は
やっと手にした瞬間に その姿消すんだ」

「でも何度でも何度でも
僕は生まれ変わっていく
そしていつか君と見た夢の続きを
暗闇から僕を呼ぶ
明日の声に耳を澄ませる
そうだ心に架けた虹がある」

「そう何度でも何度でも
僕は生まれ変わって行ける
そしていつか捨ててきた夢の続きを
暗闇から僕を呼ぶ
明日の声に耳を澄ませる
今も心に虹があるんだ
何度でも何度でも
僕は生まれ変わって行ける
そうだ まだやりかけの未来がある」

何度も生まれ変わることができる。
そして明日の声に耳を澄ませ、やりかけの未来に取り組みましょう。

また、次回お会いしましょう。

次回は10/31(日曜)(AM10:30-10:55)(FM軽井沢 77.5MHz)の放映です。

パーソナリティは稲葉俊郎でした。

1曲目:山下達郎「希望という名の光」(2010年)作詞・作曲 :山下達郎(5:14)
2曲目:Mr.children「蘇生」(2002年) 作詞・作曲:桜井 和寿(6:07)

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Mr.Children「overture ~ 蘇生」Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012
https://www.youtube.com/watch?v=v58Gidyv55U

Mr.Children「overture ~ 蘇生」Mr.Children TOUR POPSAURUS 20122012.12.19 Release

2021年9月26日の「今こそ永遠」。お聞きいただいてありがとうございました。今回は、広報かるいざわ10月号に書いた内容を一足早くお話ししました。「発達障害」とは、脳の働き方の違いにより、幼いときから行動面や情緒面に特徴がある状態とされます...
29/09/2021

2021年9月26日の「今こそ永遠」。お聞きいただいてありがとうございました。

今回は、広報かるいざわ10月号に書いた内容を一足早くお話ししました。

「発達障害」とは、脳の働き方の違いにより、幼いときから行動面や情緒面に特徴がある状態とされます。そのため、周囲や家族が育児の悩みを抱え、環境次第では子ども自身も生きづらいと感じるケースがあります。

発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害、チック症、吃音などが含まれていますが、いずれも、生まれつき脳の働き方に違いがあるという点が共通しています。また、同じ名称でもかなりの多様性があります。

先日も、「発達障害」で困っている方から立て続けにご相談を受けました。
「発達障害」という言葉に関して、改めて考え直してみたいと思ったのです。

「発達障害」という言葉が示すように、「ゆるやかに発達している」と考えることがまず大事なことだと思います。大器晩成という言葉は、「発達障害」とされる方の発達像として受け止められていた証ではないでしょうか。

発達障害は、脳の働き方に違いがあるとされますが、そもそも脳は体全体の中でどういう立ち位置にあるのでしょうか。
わたしたちは外界の情報を入力し、体の内部(内界)で統合し、外界へと出力しています。
入力(インプット)は五感などの感覚で行い、統合は主に脳で行い、出力(アウトプット)は筋肉系(動き)により行ないます。
外界から内界へ、内界から外界へ、というプロセスに大きな個人差があるわけです。
そう考えると、「個性」と発達障害にも連続性があると分かります。

「発達障害」はそこでとどまるわけではなく、ゆるやかに発達し続けているとすれば、どんな未来へと発達しているのかと、未来のイメージを持つことは大切です。

西洋医学での「因果論」の発想は、原因を考え続けるので視点が過去に向いやすく、「もうどうしようもない」と、考え方も悲観的になることがあります。そこに「目的論」の視点を加え、「この症状(や病態)は、どこへ自分を向かわせているのだろうか」と目的を見据え、「ではどうすればいいか」と、視点を未来にも向けてほしいのです。

症状や問題行動とされる中には、治ろうとする力が秘められており、その人の強みがあります。症状の中に潜在的な可能性を発見し、そこに潜む能力を活用する発想が大事なことです。

1曲目でご紹介する曲は、山下達郎「希望という名の光」(2010年)です。

「希望という名の光」は映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』主題歌です。

映画で主演を務めた岡村隆史さんが2010年7月の長期休養から復帰後初出演となった『めちゃイケ』で何度も使われました。映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』は、世界で初めて人工による養殖サンゴの移植と産卵に成功した金城浩二の自伝『てぃだかんかん -海とサンゴと小さな奇跡-』を岡村さんが演じています。題名中の「てぃだ」は太陽を意味し、まさにわたしたちを常に照らしている「太陽」の存在に思いを馳せることが大事です。

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山下達郎「希望という名の光」(2010年)
作詞・作曲:山下達郎
この世でたったひとつの
命を削りながら
歩き続けるあなたは
自由という名の風

底知れぬ闇の中から
かすかな光のきざし
探し続ける姿は
勇気という名の船

だからどうぞ泣かないで
こんな古ぼけた言葉でも
魂で繰り返せば
あなたのため 祈りを刻める

眠れない夜のために
子守歌があるように
傷ついた心には
愛という名の絆を

A Ray Of Hope For You
A Ray Of Hope For Me
A Ray Of Hope For Life
For Everyone

運命に負けないで
たった一度だけの人生を
何度でも起き上がって
立ち向かえる
力を送ろう

どうぞ忘れないで
移ろう時代(とき)の中から
あなたを照らし続ける
希望という名の光を
あなたを照らす光を
希望という名の光を

A Ray Of Hope For You
A Ray Of Hope For Me
A Ray Of Hope For Life
For Everyone
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●山下達郎 『 希望という名の光 』 ~ 熊本地震で被災されたみなさんへ(2016 4 24 「山下達郎のサンデーソングブック」)
https://www.youtube.com/watch?v=rWjhK4agB0Y

2016 4 24 「山下達郎のサンデーソングブック」同年4月20日に行われた、岩手県民会館でのライブ音源・・曲の中で、達郎さんからみなさんへのメッセージがあります

戦争という巨大な闇の「場」の中で、いかにして「個」の尊厳を大切にして生きていくことができるのか。上田の「無言館」にて、戦争の真っただ中であえて自画像や風景を描き、裸婦像を描き、愛を描き、戦争画を頑なに拒んだ姿にこそ、「個」の崇高なる表現を観...
31/08/2021

戦争という巨大な闇の「場」の中で、いかにして「個」の尊厳を大切にして生きていくことができるのか。

上田の「無言館」にて、戦争の真っただ中であえて自画像や風景を描き、裸婦像を描き、愛を描き、戦争画を頑なに拒んだ姿にこそ、「個」の崇高なる表現を観ました。

個人の崇高な生きざまは、生命の火として渡されて受け取り、それぞれが生きている人生の道の中で、かすかな光であろうとも灯し続ける必要があるのだと思います。
火を絶やさないように大切に抱きかかえながら。
火はどれだけ分配しても決して減ることはありません。

どこかしら受け取った人の中で、静かに燃え続けているものですから。

2曲目は、元ちとせさんの「語り継ぐこと」(2005年) を選曲しました。
-------------------
「消さないで あなたの中の
ともしびは連なり いつしか 輝くから」
-------------------
「語り継ぐことや伝えてゆくこと
時代のうねりを渡っていく舟
風光る 今日の日の空を
受け継いで それを明日に手渡して」
-------------------
「この世界
生れてそして
与えられたあらゆる名前に
願いがある」
-------------------

言葉に出して語り継ぐくこと。
祈りのように謳いあげています。

1曲目:美空ひばり「一本の鉛筆」(1974年) 松山善三(作詞) 佐藤勝(作曲)
2曲目:元ちとせ「語り継ぐこと」(2005年) 作詞:HUSSY_R、作曲:田鹿祐一、編曲:常田真太郎

●元ちとせ「語り継ぐことLive」
https://youtu.be/yyxC9iOOToQ

次回の放送日は2021年9月26日(日曜)(AM10:30-10:55)(FM軽井沢 77.5MHz)です。ぜひお聞きください~・

I DO NOT OWN ANY OF THIS!!!!!!! この歌が好きです。BLOOD+ の歌です。

第8回「今こそ永遠」(FM軽井沢)をお聞きいただいた方、ありがとうございました。8月はお盆を経て終戦の日であり、アフガニスタンで活動された中村哲先生の話をしました。中村哲先生は、2019年12月4日、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラ...
31/08/2021

第8回「今こそ永遠」(FM軽井沢)をお聞きいただいた方、ありがとうございました。

8月はお盆を経て終戦の日であり、アフガニスタンで活動された中村哲先生の話をしました。
中村哲先生は、2019年12月4日、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバードにて、武装勢力に銃撃され死去されました。73歳でした。

哲先生はそうした事情もすべて覚悟した上で、医療、医業、医術・・・医をすべて含んだ井戸掘りという行為に取り組まれていたから、我が人生に悔いなし、とおっしゃるだろうと思います。
中村哲先生の医療は「人助け」が目的だからこそ、その目的を外さないようにすると結果的に井戸掘りにつながっただけで、自分行為はすべて医療であるというのは当たり前のことでした。

日本の「常識」は、単に偏見の寄せ集めや集団の圧力だったりしますが、本来の「common sense」とは「共通感覚」のことで、通常の感覚で深めていけば誰もが到達する真理こそが「common sense」です。

哲先生は、そうした「common sense」をこそ大切にしていたのだと思います。だからこそ、自分も今何をするべきか、「common sense」をこそ働かせたいと日々思っています。
強い思いを持ち亡くなった方、残された思いを引き継ぐのは、他の誰でもなく、こうして生きている者たちだ、と思います。生きているだけで、常に生命のトーチは渡され続けていて、この当たり前の事実を、改めて突き付けられたように感じました。

1曲目でご紹介した曲は、
美空ひばり「一本の鉛筆」(1974年) 松山善三(作詞) 佐藤勝(作曲)
●美空ひばり「一本の鉛筆」
https://youtu.be/ZRwoINUrxVc

ひばりさんが広島平和音楽祭に出演するにあたって、総合演出を担当していた映画監督、脚本家の松山善三が作詞を、作曲を映画音楽の作曲で有名な佐藤勝が手がけました。

===========
あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい
一本の鉛筆が あれば
私はあなたへの 愛を書く
一本の鉛筆が あれば
戦争はいやだと 私は書く
あなたに 愛を送りたい
あなたに 夢を送りたい
あなたに 春を送りたい
あなたに 世界を送りたい
一枚のザラ紙が あれば
私は子どもが ほしいと書く
一枚のザラ紙が あれば
あなたをかえしてと 私は書く
一本の鉛筆が あれば
八月六日の 朝と書く
一本の鉛筆が あれば
人間のいのちと 私は書く
===========

一本の鉛筆は、わたしたちの内なる思いを言葉として引きずり出すための道具の象徴。
戦争という非人道的な時代には、人は簡単に冷酷になります。
人間が影として持っているエゴイズムが水や栄養を与えられて表に出てくるのです。

だからこそ、そうした人間の負なる心に水や栄養を与えない時代にする必要があります。コロナ禍の中でも差別や分断が起き続けるのは、そうした人間の負の側面に、誰かがせっせと水と栄養を与え、育て、肥大させているのではないでしょうか。

ワクチンがとりあいになることも、そうした人間の影や闇の部分が表に出てきていると、思います。
共同体感覚を育てていくこと、平等でフェアであるとはどういうことかを、まさにいま試されているとさえ思うのです。

1988年(昭和63年の映像)

P.S.Nina Simone『Nina Simone and Piano!』(1969年)と一緒に持っているアルバムは、バーンスタイン歌曲集「Roberta Alexander, Tan Crone Leonard Bernstein S...
26/07/2021

P.S.
Nina Simone『Nina Simone and Piano!』(1969年)と一緒に持っているアルバムは、バーンスタイン歌曲集「Roberta Alexander, Tan Crone Leonard Bernstein Songs」(1994年)というレコードです。
ソプラノ歌手であるロバータ・アレクサンダーが、バーンスタインの作曲歌を歌っています。このアルバムにも、ミュージカル、ピーターパンから「Who Am I?」も含め、そのほかの曲も収録されています。

●peter pan ; who am I ?(Roberta Alexander)
https://www.youtube.com/watch?v=5O8uMZS8SPY

人生の全体性の話に戻ります。わたしたちは、青年期・壮年期という時期だけではなく、あかちゃん、こども、お年寄り、病者も含め、社会を構成しているすべての存在に等しく敬意を持てる人生観を養う必要があると思います。柳田国男を含め、過去の民俗学の思想...
26/07/2021

人生の全体性の話に戻ります。

わたしたちは、青年期・壮年期という時期だけではなく、あかちゃん、こども、お年寄り、病者も含め、社会を構成しているすべての存在に等しく敬意を持てる人生観を養う必要があると思います。

柳田国男を含め、過去の民俗学の思想を読み解くと、生者だけではなく死者をも含みこんだ上で、人生や生命の全体性を考えていたことが分かります。

3歳までは神のうち、という言葉があります。

つまり、「七五三」の儀式は、死者の世界から生者の世界へと迎え入れる、精霊のような存在が人間になっていくプロセスを祝う儀式でもあったと祖父母から聞いたことがあります。

そして、盆踊りのときに、踊っている人の間を必ず一人分空けるようにも祖父から言われました。

それは、ひとつ場所をあけておかないと、そこで亡くなった人が踊れないでしょ、ご先祖様の場所も空けておくんだよ、と言われたものです。

盆踊りも、そうして死者や先祖に敬意を持ちながら、同じ空間で同じ踊りと動きをしながら、グルグルと生者と死者が円環的につながっていることを実感として感じるための踊りだったのではないかと思うのです。

人間がこの世へ生まれてくる。それぞれの固有の人生を生き切って、またこの世から去っていく。そうしたことを生と死と呼びます。

ただ、この世とあの世とが円環的につながっていた古代の人々にとって、死ぬことはあの世へと生まれてくることでもあります。あの世から見れば、この世の死は「誕生」なのです。あの世に生まれあの世で死ぬことは、この世での「誕生」へと循環の輪がつながります。

そうして、生と死、この世とあの世も、円環的に循環してつながっていると考えていました。

死者や先祖に敬意を持てる社会は、豊かで健全な社会ではないでしょうか。

そうした考え方を持つからこそ、子どもやお年寄りは、「かみさま」に近い存在として、その存在自体に霊性を感じ、自然に敬える社会になります。そんな社会にこそ、自分は希望を感じます。

わたしは誰なのか。

意味や概念を超えて、わたしは、いまここに存在している。

この今の瞬間の自分の全存在にすべてが含まれ込められていると思います。

そこにすべて答えはあります。

それこそが、ラジオタイトルの「今こそ永遠」です。

今、ここに私がいる。

そうした人生の態度や存在の深さや重さのことをこそ、問われているのだと思います。

ラジオの最後には、同じNina simoneのアルバム『Nina Simone and Piano!』(1969年)から、「Compensation」という曲をお送りしました。

詩人ポール・ローレンス・ダンバーの詩から引用されています。

ニーナ・シモンが、神という大いなる存在に対して愛を持って生きたことで、思いやりや歌という贈り物を受け取った、と、祈りのように謳いあげています。

●Nina Simone - Compensation
https://www.youtube.com/watch?v=WBK_JFJZXDI&t=16s

次回は、最終日曜の放映ですので、8月29日(日曜日)(AM10:30-10:55)(FM軽井沢 77.5MHz)の放映です。

また、次回お会いしましょう。

第7回 「今こそ永遠(えいえん)」(放送日 2021年7月25日) 
●1曲目:Nina Simone「Who Am I?」(収録アルバム:Nina Simone『Nina Simone and Piano!』(1969年)作詞・作曲:Leonard Bernstein
●2曲目:Nina Simone「Compensation」(収録アルバム:Nina Simone『Nina Simone and Piano!』(1969年)作詞・作曲:Paul Laurence Dunbar, Nina Simone

7/25(日曜)のラジオ「今こそ永遠」(FM軽井沢 77.5MHz)をお聞きになっていただいた方、ありがとうございました。7月も最終です。8月はお盆の時期ですが、この時期はご先祖様をお迎えし、亡くなった方に想いを馳せる時期でもあります。ラジ...
26/07/2021

7/25(日曜)のラジオ「今こそ永遠」(FM軽井沢 77.5MHz)をお聞きになっていただいた方、ありがとうございました。

7月も最終です。8月はお盆の時期ですが、この時期はご先祖様をお迎えし、亡くなった方に想いを馳せる時期でもあります。

ラジオでは、改めて人生の全体性や生と死の全体性について話しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自分は「全体性」という視点をいつでも大事にしています。

というのも、わたしたちの視野というのは、どうしても局所へ局所へとうつっていく傾向があり、ズームアウトするように視点を引いて全体像を把握するように注意しないと、木を見て森を見ず、となり、今やっていることの目的や意味を見失ってしまうことがあるからです。

人の感情には喜怒哀楽があります。こうした感情も人生全体の一コマとして起きていると考えます。そうした視点があれば、自分の感情を客観的に冷静に追うようにできるようになります。一時期の突発的な感情に飲み込まれ支配されないように。感情を観察している俯瞰的な視点も、わたしの全体性の一部なのですから。

人生全体の中で、日々はその部分として展開されています。

人生という全体像の中に、このかけがえのない日々がある。そうした視点を忘れず、日々を大切にしています。

人生の全体像を考えるとき、直線的な人生観ではなく、円環的な人生観をこそ大切にしています。

直線的な人生観とはどういうイメージを持たれるでしょうか。

たとえば壮年期などの生産性が高い時期を人生のピークと見て、そのピークを目指すように人生を上り詰めていく、そのピークの後には人生の坂を転がるように衰えていく、というような考え方です。

ただ、こうした考え方では、子どもやお年寄りは生産性がないため価値がない、という偏った考えに陥ることになります。突然病気になった、動けなくなった、というときに、社会からはじき出されたような考えに陥ってしまいます。

そうした直線的なイメージではなく、人生を円環的なイメージでとらえてほしいのです。

ライフサイクル、というように、サイクル(円環)のイメージでライフ(人生)を捉える。

日々は円環的につながっていて、人生全体も円環的にはつながっていると考えるのです。

生まれ、成長して、死ぬ、というサイクルから逃れられません。

生と死は、1日1日の単位で円環的に完結して、かつ人生全体もつながっていると考えるのです。

日々には成功も挫折もありますが、それも人生の一コマです。強さだけではなく、弱さも全体に含み込んだ人生観を生きることが大事なのではないでしょうか。

そのためには、「今こそ永遠」とされるこの「現在」という瞬間を、過去の結果としてだけではなく、未来への準備としても捉えることが、「現在」を生きる実態に近いのではないかと思います。

ーーーーーーーーーー

今回、一曲目としてご紹介した曲は、Nina Simone「Who Am I?」(収録アルバム:Nina Simone『Nina Simone and Piano!』(1969年)です。

この曲は、私が大好きなNinaSimoneが歌っている曲ですが、作詞・作曲は、なんとLeonard Bernstein。Bernsteinと言えばクラシックの巨匠で、ヨーロッパ中心だったクラシック音楽の世界で、アメリカ人の指揮者として世界的に活躍し、かつ作曲家であり、ピアニストでもあります。

そそて、この曲は「わたしはだれ?(Who Am I?)」という哲学的なタイトルでもあります。

バーンスタインが、ミュージカル「ピーターパン(1950)」のために作った曲ですが、アメリカ人であるバーンスタインが、東洋思想の伝統的な死生観である輪廻や生まれ変わりのことも書いており、歌詞を読んだとき驚きました。

●Nina Simone - Who Am I?
https://www.youtube.com/watch?v=2RVUwI7Q_pE

歌詞の解説です。
-------------------------

WHO AM I?

私は誰?

私は誰なの?

生まれる前から全て決められているの?

それとも、わたしはたまたま七月に生まれただけの存在なの?

私は誰?

わたしの友人は、ただ楽しいことだけを考えればいいって言う 

そんな彼らはとっても変だと思う。

私は、唯一の存在であるに違いないから。

こんな不思議なこと考えるのは私一人だけなのかしら?

いつか、私は死ぬ。

わたしはいつか、また生まれ変わることはあるの?

山に住むライオンとして、

それともオスの鳥やメスの鳥として、

それとも他の鳥?

それともハエ?

ああ、私は誰なの?

あなたは、生まれ変わり(reincarnation)を信じる?

あなたは、生まれ変わりを信じる?

あなたは、以前にもこの世に存在していたことがあるの?

あなたは夢を見たことはある?

あなたはほんとうのことをすでに全部知っている。

あなたは前の人生で、何かすでに経験しているの?

あなたは疑問に感じるでしょう。

あなたはほんとうのことをすでに全部知っている。

人生すべての愛を込めて

あなたは言うのよ、

わたしは何ものなの、って。

いつか、生まれ変わることはあるのかしら?

山のライオンとして、

もしくは鳥として。

それともハエとして。

もし私が、これらの生き物の一つで、

くり返し、くり返し生まれ変わった生き物だったら...

私は何ものなの?   

-------------------------

すこし意訳もありますが、こうした歌詞です。

私は誰なのか?私は何者なのか?
自分はこの歌詞を聞いた時、在宅医療での経験を思い出しました。

認知症の患者さんのご自宅に往診に行った時のことです。

こんにちは、とチャイムを押すと、その方がガラっとドアを開けて、「あなたは誰ですか?」と聞いてこられます。

「わたしは祐ホームクリニックで往診医をしている稲葉と申します」と答えますが、「あなたは誰ですか?」と聞かれます。

「わたしは医師です」と答えると、「あなたは誰ですか?」と聞かれます。

そこで困ってしまい、「わたしは稲葉俊郎と申します」と氏名を答えると、「あなたは誰ですか?」と聞かれます。

さて、こうした場面で、あなたはなんと言いますか?

自分は何度か返答しながら、「確かに、わたしは誰なのだろう?」という気になってきます。自分は職業名でもない、名前でもない。住んでいる住所も自分ではないし、両親の名前も自分ではない。

相手の玄関でこの問答が数回、数分続くのですが、この度に禅問答のような対話は、いいトレーニングでもありました。「わたしはだれ?」という問いは、普段発されることがありません。だからこそ、灯台下暗し、のように自分という存在を改めて考えるきっかけがないからです。

ちなみに、この方はこうした問答を繰り返し、じっと目を見て対話をしていると、ある瞬間に「では、どうぞ」と言われて中に入れていただきました。おそらく、自分が発する言葉や意味や概念ではなく、存在が発する非言語、もしくは自分の心の中やさらに言えば魂の中まで観察されて、「この人は私の仲間なのか、敵なのか」と。そして、私自身の心が閉じているのか、開いているのか、言語の光が届かない内奥をこそ見られているのではないかと、いつもドキドキしたものです。

💿 Nina Simone and Piano, 1969

2つ目の幼少期の記憶は家族です。自分は小児科病棟で入院していました。ベッドの下の狭い場所に母親が寝ています。いつ急変するか分からないですし、重症の小児科病棟は母親がずっと付き添うんですね。当時は自分もガリガリに痩せていたらしく、両手でお腹が...
28/06/2021

2つ目の幼少期の記憶は家族です。

自分は小児科病棟で入院していました。ベッドの下の狭い場所に母親が寝ています。

いつ急変するか分からないですし、重症の小児科病棟は母親がずっと付き添うんですね。

当時は自分もガリガリに痩せていたらしく、両手でお腹が掴めるほどお腹周りが小さかったと聞いた覚えもあります。

自分の父親も姉も何度も何度もお見舞いに来ている光景も浮かんできました。

そうした全体的な風景の中で、自分の頭の先から足の先まで電流が走ったような体感が起きたんですね。ビリビリビリと、電気や電撃のようなものが全身を貫きました。

その時、自分は何の体験をしたかというと、「愛」と呼ばれる何かを体験として知ったのです。

つまり自分は愛されている、生きていることを求められている。

そうしたことを、突然に体験したんです。

それまでの自分は、この世もあの世も等価なもので、どちらも同じような意味合いの世界だったようなんですね。どちらにも重みづけがされず、等価なものでした。て

すべて運命に委ねていたような所があったんです。

ただ、その時に始めて自分は生きたい、生きねば、と思いました。

生きていることを求められている、と、強い自覚があり、自分は生きなければいけないと決意したんです。

そしたら少しずつ元気を取り戻し、病状も回復に向かった、そうしたぼんやりしたおぼろげな記憶があるんですね。

幼少時に、こうしてベッドサイドで「いのち」のことをかんがえていました。

この世に存在するもの、それは植物でも動物でも、どんな些細な石でも風でも水でも砂でも、全ての存在には命があって、命は、死を迎えるとこの世の全ての存在に平等に分配されていくんのではないかと思うのです。

そうして「いのち」は分配され循環していく。

「いのち」は全ての存在に平等に分配されますが、おそらく「受け取ろう」と思った人にしか受け取ることができないものだとも思います。そこには自由意思の余地が残されているのでしょう。

「いのち」を受け取るか拒否するかは、自分が決定権を持ちそれは自由で強制されないものだと思うのです。それこそが「いのち」が循環する世界における根源的な原理・原則なのではないかと。

受け取ると決めた人が「いのち」を受け取る。

だから、自分は医者になったのだ、と、思いました。

受け取ると決めたら、「いのち」は受け取ることができる。

「いのち」は光のように同じ場所に重なることができる。それはまさに光と同じなんです。

死に行く人を看取ることも同じだと思います。

死にゆく人の話をちゃんと聞き、「いのち」を受け取ると決める。

そうすれば、みんながあなたの中で重なっている。

子どもの時に、誰もがそうした体験をしているのではないかと思うのです。表層の意識では忘れているだけだと思います。

自分は文章を書くという行為の中で深い意識の底へともぐり、そうした自分の核となる場所をふと思い出しました。

「いのち」は集合的なものでもあると思います。

肉体は誰でも限界があります。それはしょうがないことです。受け入れる必要があります。

ただ、だからこそ誰かが受け取ればいいんです。

「いのち」は量ではなくて質の概念なんでしょう。

人生が長ければいい、という話ではなく、一歳であろうと二歳であろうと、完結している。

「いのち」はこちらが主体的に受け取らない限り受け取れないのだろうと思います。

わたしたちは誰かに「いのち」を託しながら、重なっていくのです。

だからこそ、人はそう簡単に死ねないのではないでしょうか。

自分一人の人生じゃないことを自覚すると、色んな人の「いのち」が重なっているとすると、複数の人生を同時に生きているようなものですから。

・・・・・・・・・・・・

ラジオの最後には、宇多田ヒカルさんの「花束を君に」(4:40)(収録アルバム:宇多田ヒカル『Fantome』2016年)(作詞・作曲:宇多田ヒカル)をご紹介しました。

●宇多田ヒカル - 花束を君に

https://www.youtube.com/watch?v=yCZFof7Y0tQ

2008年にリリースされたアルバム『HEART STATION』から8年、一時活動休止期間を経た宇多田ヒカルさんが、6枚目となるアルバムを発表されたのが『Fantome』(2016年)でした。

2013年に、母親である藤圭子さんが亡くなり、3年という喪に服す時間を経て、彼女は表舞台に出てこられたのです。

この曲は、そうした母や自分の「いのち」を歌った曲だと思います。

「世界中は雨の日も

君の笑顔が僕の太陽だったよ

今は伝わらなくても

真実には変わりないさ

抱きしめてよ、たった一度

さよならの前に」

次回は、7月25日(日曜)のAM10:30-10:55です。

「今こそ永遠」は、FM軽井沢のHPからどこでも聞けますので、ぜひ次回もお聞きください!

FM軽井沢 

https://fm-karuizawa.co.jp/

Playlist Best of Utada Hikaru: https://goo.gl/aCZws4Subscribe for more: https://goo.gl/z95irC"宇多田ヒカルのニューアルバム「Fantôme」の収録楽曲「花束を君に」 (NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌)本人出演...

6月27日(日曜日)10:30~10:55、FM軽井沢『今こそ永遠(6回目)』をお聞きいただいた皆様、ありがとうございました。6回目は、生死織りなすいのち、に関しての話をさせていただきました。どんな人にも「いのち(LIFE)」はありますが、...
28/06/2021

6月27日(日曜日)10:30~10:55、FM軽井沢『今こそ永遠(6回目)』をお聞きいただいた皆様、ありがとうございました。

6回目は、生死織りなすいのち、に関しての話をさせていただきました。

どんな人にも「いのち(LIFE)」はありますが、与えられたいのちをどのように捉えばいいのでしょうか。死者から託されるもの含め、いのちは生のカテゴリー内だけではなく、死のカテゴリーも含めた全体で、捉える必要があります。

自分は医療という大きな分野の中で、医者という一つの役割の仕事に従事しています。

医療職には色々な職種がありますが、その中の一つの役割として医師があります。本来はそれはヒエラルキー構造ではなく、対等の存在だと思います。

もちろん、医師が最終判断を下す場面も多いですし、最終責任をとる場面も多いわけですが、それは役割の違いであって、医療の役割としてはすべての立場が対等であると、自分は思っています。

そもそも医者になろうと思ったきっかけを考えると、2-3歳のときの幼少期の記憶にさかのぼります。

では、なぜこんな過去の記憶まで思い出したかというと、そこにも理由があります。

「いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ」アノニマ・スタジオ(2017年12月22日)

という最初の単著を書きましたが、こうした本を真剣に書いているときに、やはり自分の原点にさかのぼって書かないと、嘘になるなと思ったのですね。自分なりのしっかりした根源の場所に降りて考えたい。そのために最初の最初の最初の・・・・として、Y字路を逆向きに辿るように記憶をさかのぼっていた時、その当時の記憶にぶちあたり、思い出したんです。

深い記憶の奥底にある原体験としての内的世界を、記憶の糸を辿っていく、という行為は、やはり文章を書く、という行為があったからこそ辿りつけた場所だとも思いました。ですので、文章を書く、という行為は、自分の原点、源、初心に戻る行為にもなりますので、真剣に文章を書いてみることはどんな人にでもお薦めしたいとも思います。

3歳前後の曖昧な記憶の中で、死に近い体験をしていることを覚えています。

単著「いのちを呼びさますもの」も、冒頭はその場面から始めました。

子供のとき、ずっと病気で入院していて、普通の暮らしはほとんどできていなかったようです。ちょっとしたことですぐに病院に入院してします。

周りもこの子は長く生きられないんじゃないか、と思うほど生命力が弱弱しかったようなのです。

ウイルスや細菌や、色々な感染症を併発していて、全身の粘膜という粘膜が全部ただれてしまいました。口からご飯が食べれなくなり、病院では鼻からチューブを入れて栄養をとりながら生きていた風景を克明に覚えているんですね。病状的には死の間際を行き来していたのかもしれません。ただ、色々な偶然や恩恵が重なり、病態は上向きに向かい、無事生き返って今に至る、という経過があります。実際、小学校の低学年のときもずっと体育は休んでいるほど、弱弱しかったんですね。

ただ、だからこそ、生きているだけで十分なんだ、と思っていたことも強く覚えています。

自分はすでに死んでいた可能性もあって、生きているだけで儲けもののような人生だ、と。

家族や医療スタッフ、色んな人の力で助けられたから、自分もその恩返しをしようと思って医者になった。

助ける側・助けられる側、なぜこうした立場が違うのか。

自分はあちら側、助ける側にいけないのか、そうした記憶や葛藤、違和感をベッド上で感じていた感触が今も強く残っています。

2−3歳で病院に入院していた時を思い出すと、天井のしみの形も明確に思い出すのが不思議なことでした。

その時、僕はなぜ生き残ったのだろう、と思い出した時に、2つの主要な体験がありました。

1つ目は、看護婦さんが「あの子はなんて可哀想な子だろう」と言っていたのが聞こえてきたんですね。

僕は病気でベッドに寝て動けません。天井しか見れず病棟で横たわっています。天井のシミのパターンを見ている記憶があるんです。その看護婦さんは、「まるで死ぬために生まれてきたようじゃないか。何のためにこの子は生まれてきたんだろう。本当に可哀想な子だ」というようなことが聞こえたんですね。

その時に初めて、「自分はほんとうに可哀想な子なんだろうか」という疑問が湧いてきたのです。

可哀想、という概念が当時はよくわからなかったのだと思うのですが、少なくとも、自分は今まで一度も可哀想な子だと思ったことはなく、その言葉が醸し出す雰囲気などに当惑したんだと思います。

その時に一日葛藤しました。

自分が可哀想な子だと思えば、看護婦さんはきっと喜ぶんじゃないか、でもそれが正しいのか、と思い、また振り子のように葛藤に戻す。そうした心理的な動きを何度も何度も繰り返しました。

でも、自分はそれなりに幸せだったんです。

色々なことを自由に頭で空想していましたから、見た目よりも自由だったんです。

別に誰とも比較するわけではないですから。

その時に一晩悩みました。その結論として、自分は可哀想な子じゃないんだ。と強く決断して、自分の意思で決めたことを覚えているんですね。

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今回のFM軽井沢でご紹介した曲は、荒井由実さんの「ひこうき雲」(収録アルバム:荒井由実『ひこうき雲』1973年)です。

この曲は、荒井由実時代のデビューアルバム『ひこうき雲』に入っている一曲目です。

このうたも「いのち」を歌う曲だと思います。

●松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)
https://www.youtube.com/watch?v=SlXL1A7rrxo

堀辰雄は昭和19年からは軽井沢の追分に定住し、この地に建てた家で昭和28年に49歳で亡くなりました。

死因は結核とされています。

「屋根のない病院」と言われた軽井沢や追分の高原は、まさに居るだけで治癒が起きる場として選ばれていたのでしょう。

堀辰雄の小説『風立ちぬ』には「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句が出ます。この詩はポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節です。「風が吹く……生きねばならぬ」「さあ、生きようじゃないか」という強い意思を含んだ言葉が、タイトルに使われています。

荒井由実さんの「ひこうき雲」 歌詞の中には、

『白い坂道が空まで続いた

ゆらゆらかげろうがあの子を包む

誰も気づかずただひとり

あの子は昇っていく

何も恐れない そして舞い上がる』

『空に憧れて

空をかけてゆく

あの子の命はひこうき雲』

『高いあの窓で あの子は死ぬ前も

空を見ていたの 今はわからない

ほかの人には わからない

あまりにも 若すぎたと

ただ思うだけ

けれどしあわせ』

という一節が出てくるのですが、自分の子どものころの記憶と、荒井由実さんの歌詞とが強くリンクしたんですね。

「高いあの窓で あの子は死ぬ前も

空を見ていたの 今はわからない

ほかの人には わからない

あまりにも 若すぎたと

ただ思うだけ

けれどしあわせ」

最後の、『けれどしあわせ」が、自分は強く響きました。

『しあわせ』かどうか、は、客観的な尺度なんてありません。

周りからいかに「しあわせそう」と見えようとも、内実は地獄のように辛い心理状況を送っている人もいるのです。むしろ、そうして外面の顔と内面の世界が強く分離して苦悩している人も多いのです。

Yumi Arai The Concert with old Friends 1996.12.20 Release (VIDEO/LASER DISC) TOVF-1260/TOLF-12602001.12.12 Release (DVD) TOBF-51141.あなただけのもの2.生まれた町で3.空と海の輝きに...

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「Bridge over Troubled Water」(明日に架ける橋)は、エルビス・プレスリー版も、最高に素敵です!!

●Elvis Presley - Bridge Over Troubled Water (April 1972) [HD]
https://youtu.be/kJfYYZccdSs

Somewhat celebrating the 40th Anniversary of Elvis' triumphant return to New York City after a 15 year absence in 1972, this is the version of the Simon & G...

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Nina Simone「Trouble In Mind」は、『Nina at Newport』(1960年)にあるNewport Jazz FestivalのLive版も、最高に素敵です!!

●Trouble in Mind (Live at Newport Jazz Festival)
https://youtu.be/mlGTrthfFYA

Provided to YouTube by Parlophone UKTrouble in Mind (Live at Newport Jazz Festival) (2004 Remaster) · Nina SimoneNina Simone at Newport℗ 2004 Parlophone Reco...

住所

長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1178-1186
Karuizawa-Machi Kitasaku-gun, Nagano
389-0102

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