11/09/2022
武蔵野美術大学 授業覚書 2-03 / 20
第2回:デザイン発想法03
「既存の価値」と「新しい価値」、「What」から「How」への転換
AIBOもそうですが、時には「アヴァンギャルド」の話をした回もありましたね。19世紀末にポール・セザンヌによって、それまでの「絵とは何か」という規定が崩壊し、近代絵画が始まりました。アヴァンギャルドはそこから起こった20世紀の絵画で忘れてはいけない潮流で、その後にキュビスムやフォービスムなどの抽象絵画が起こり現代に至ります。因みに西洋絵画史では、ルネッサンスなどの古い絵画を「古典絵画」、印象派以後を「近代絵画」と分けています。
古典絵画が扱うテーマで顕著な例といえば、壁や天井に聖書の物語のどのシーンを描くかが重要でした。貴族などの富裕層しか文字が読めない時代ですから、大衆は聖書を教会で読んで聞かせて貰います。そのための絵が必要だったんです。ところが印象派から大きく絵が変化します。筆跡を残さない、それまでの描画テクニックではなく、パレットであまり混ぜずに色を塗り、見た人の目の中で混色されるような描画が生まれました。点描も登場します。背景との境目が曖昧になり、そばで見るとわからないくらいの描画法も生まれました。これが「輪郭の消滅」です。この描画技法の変化には、どう描くかと言う問題に対面した作者の答えがあります。それまでの“何(What)”を描くのではなく、“どう(How)”描くかが重要になったんですね。同時に建築の一部であった絵画や彫刻が、一種の独立を果たしたとも言えます。
戦後の日本でも、爆撃でみんな燃えてしまったり、戦時中の金属類の没収もあり、日本中でものがなくなっていたので、持つこと(=無い事の恐れ)に執着したから、国民全体が物欲の塊とも言える、「What」の時代がありました。高度成長の基盤と思います。家電以外でも造るものはどんどん売れて、所持すること=豊かさを取り戻すと評価された時代です。今ではものは行き渡り、あるだけではなく、どうあるのかという「How」の時代になっています。みんなの世代では無いことをあまり気にしないんじゃ無いかな。必要なものの対象が違うこともあるけど、どんな生活がしたいかを先に考え、それに必要なものを揃えていくような。そうそう、昔は「嫁入り道具」と言って、箪笥などは欠かせなかったけど、今はそんなことを行った途端に『ふる〜!』って一刀両断に切り捨てられてしまいます。
近代絵画に移行して価値の問題が取り上げられたんだよ。ざっくり、わかりやすく言っちゃうと、例えば、花は大抵の人が「美しい」という評価を疑わないよね。では花の絵を描いた時、その絵は、花が美しいから美しいと思うのか、その絵自体が「美しい」のか? 富士山もそうですね。富士山の美しさは誰もが認めます。美しい富士山が描かれているから美しい絵なのか、それとは別にその絵自体の美しさを言っているのかを彼らは問題としたのです。AIBOもそうですが、時には「アヴァンギャルド」の話をした回もありましたね。19世紀末にポール・セザンヌによって「絵とは何か」という規定が崩壊し、近代絵画が始まりました。アヴァンギャルドはそこから起こった20世紀の絵画で忘れてはいけない潮流で、その後にキュビスムやフォービスムなどの抽象絵画が起こり現代に至ります。因みに西洋絵画史では、ルネッサンスなどの古い絵画を「古典絵画」、印象派以後を「近代絵画」と分けています。
古典絵画で顕著な例を挙げると、たとえば聖書の物語のシーンを壁や天井に描くかが重要でした。貴族などの富裕層しか文字が読めない時代ですから、大衆は聖書を教会で読んで聞かせて貰います。そのために壁や天井に絵が必要だったんです。ところが印象派から大きく絵が変化します。筆跡を残さない、それまでの描画テクニックではなく、パレットであまり混ぜずに色を塗り、見た人の目の中で混色されるような描画が生まれたのです。点描も登場します。これが「輪郭の消滅」です。この描画技法の変化には、どう描くかと言う問題に対面した作者の答えがあります。それまでの“何(What)”を描くのではなく、“どう(How)”描くかが重要になったんですね。
戦後の日本でも、爆撃でみんな燃えてしまったり、戦時中の金属類の没収もあり、日本中でものがなくなっていたので、持つこと(=無い事の恐れ)に執着したから、国民全体が物欲の塊とも言える、「What」の時代がありました。高度成長の基盤と思います。家電以外でも造るものはどんどん売れて、所持すること=豊かさを取り戻すと評価された時代です。今ではものは行き渡り、あるだけではなく、どうあるのかという「How」の時代になりました。みんなの世代では無いことをあまり気にしないんじゃ無いかな。必要なものの対象が違うこともあるけど、どんな生活がしたいかを先に考え、それに必要なものを揃えていくような。そうそう、昔は「嫁入り道具」と言って、箪笥などは欠かせなかったけど、今はそんなことを行った途端に『ふる〜!』って一刀両断に切り捨てられてしまいます。
近代絵画に移行して価値の問題が取り上げられたんだよ。ざっくり、わかりやすく言っちゃうと、例えば、花は大抵の人が「美しい」という評価を疑わないよね。では花の絵を描いた時、その絵は、花が美しいから美しいと思うのか、その絵自体が「美しい」のか? 富士山もそうですね。富士山の美しさは誰もが認めます。美しい富士山が描かれているから美しい絵なのか、それとは別にその絵自体の美しさを言っているのかを彼らは問題としたのです。
一般に美しいと認められている価値、つまり、「既存の価値」を捨てて、「新しい価値」を生み出そうと強く動いたのが20世紀の初頭に登場した、アヴァンギャルド(フランス語で「前衛」という意味)と呼ばれる人たちでした。理想像としてのヌード(女性美)を辞めたり、貴族などの肖像画からの脱却、人間自体を描こうと、それまで扱われなかった女中や職人、大衆、民衆にモチーフを変えたりしています。
既存の価値を持つ「具象」を捨てて、見たこともない「抽象」を求めたのはこんな理由からと考えるとわかりやすくない? 新しい価値を生み出すこととは、これまでに見たこともない美しさを創出すること。そのために抽象絵画は始まりました。
まぁ、絵画の規定などの話については、油絵学科や彫刻学科など、アート系の学生たちを対象とした授業では、もう少し幅を広げて、掘り下げて、話していますよ。絵画の規定についてとか、コンテンポラリー・アートとアヴァンギャルドはどう違うのかなんかもね。
「美しい」は、ものに不可欠な価値です。現代でもそれは変わりません。アートだけでなく、工芸でもデザインでも同じです。我々が制作するものは、すべて美しくなければなりません。そう言えば、機能と形態との問題もありました。機能が優先するか形態美を優先するか。それは愚問で、全て一体で考えることこれがデザインです。なんでも分けて考える理系の考えに同調する必要はありません。これはまた別の日に話しましょう。
何をつくるのかではなく、どうつくるのか。WhatからHowへの転換。アイデアスケッチを行うとき、これをスタートにおいて始めよう。課題だけでなく、考えるものやことのすべてはここからのスタートと言っても過言では無いでしょう。