PLATDESIGN media studio

PLATDESIGN media studio 各種のデザインワークの紹介だけでなく、大学・専門学校の授業の活性化?

11/09/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 2-03 / 20
第2回:デザイン発想法03
「既存の価値」と「新しい価値」、「What」から「How」への転換
AIBOもそうですが、時には「アヴァンギャルド」の話をした回もありましたね。19世紀末にポール・セザンヌによって、それまでの「絵とは何か」という規定が崩壊し、近代絵画が始まりました。アヴァンギャルドはそこから起こった20世紀の絵画で忘れてはいけない潮流で、その後にキュビスムやフォービスムなどの抽象絵画が起こり現代に至ります。因みに西洋絵画史では、ルネッサンスなどの古い絵画を「古典絵画」、印象派以後を「近代絵画」と分けています。
古典絵画が扱うテーマで顕著な例といえば、壁や天井に聖書の物語のどのシーンを描くかが重要でした。貴族などの富裕層しか文字が読めない時代ですから、大衆は聖書を教会で読んで聞かせて貰います。そのための絵が必要だったんです。ところが印象派から大きく絵が変化します。筆跡を残さない、それまでの描画テクニックではなく、パレットであまり混ぜずに色を塗り、見た人の目の中で混色されるような描画が生まれました。点描も登場します。背景との境目が曖昧になり、そばで見るとわからないくらいの描画法も生まれました。これが「輪郭の消滅」です。この描画技法の変化には、どう描くかと言う問題に対面した作者の答えがあります。それまでの“何(What)”を描くのではなく、“どう(How)”描くかが重要になったんですね。同時に建築の一部であった絵画や彫刻が、一種の独立を果たしたとも言えます。
戦後の日本でも、爆撃でみんな燃えてしまったり、戦時中の金属類の没収もあり、日本中でものがなくなっていたので、持つこと(=無い事の恐れ)に執着したから、国民全体が物欲の塊とも言える、「What」の時代がありました。高度成長の基盤と思います。家電以外でも造るものはどんどん売れて、所持すること=豊かさを取り戻すと評価された時代です。今ではものは行き渡り、あるだけではなく、どうあるのかという「How」の時代になっています。みんなの世代では無いことをあまり気にしないんじゃ無いかな。必要なものの対象が違うこともあるけど、どんな生活がしたいかを先に考え、それに必要なものを揃えていくような。そうそう、昔は「嫁入り道具」と言って、箪笥などは欠かせなかったけど、今はそんなことを行った途端に『ふる〜!』って一刀両断に切り捨てられてしまいます。
近代絵画に移行して価値の問題が取り上げられたんだよ。ざっくり、わかりやすく言っちゃうと、例えば、花は大抵の人が「美しい」という評価を疑わないよね。では花の絵を描いた時、その絵は、花が美しいから美しいと思うのか、その絵自体が「美しい」のか? 富士山もそうですね。富士山の美しさは誰もが認めます。美しい富士山が描かれているから美しい絵なのか、それとは別にその絵自体の美しさを言っているのかを彼らは問題としたのです。AIBOもそうですが、時には「アヴァンギャルド」の話をした回もありましたね。19世紀末にポール・セザンヌによって「絵とは何か」という規定が崩壊し、近代絵画が始まりました。アヴァンギャルドはそこから起こった20世紀の絵画で忘れてはいけない潮流で、その後にキュビスムやフォービスムなどの抽象絵画が起こり現代に至ります。因みに西洋絵画史では、ルネッサンスなどの古い絵画を「古典絵画」、印象派以後を「近代絵画」と分けています。
古典絵画で顕著な例を挙げると、たとえば聖書の物語のシーンを壁や天井に描くかが重要でした。貴族などの富裕層しか文字が読めない時代ですから、大衆は聖書を教会で読んで聞かせて貰います。そのために壁や天井に絵が必要だったんです。ところが印象派から大きく絵が変化します。筆跡を残さない、それまでの描画テクニックではなく、パレットであまり混ぜずに色を塗り、見た人の目の中で混色されるような描画が生まれたのです。点描も登場します。これが「輪郭の消滅」です。この描画技法の変化には、どう描くかと言う問題に対面した作者の答えがあります。それまでの“何(What)”を描くのではなく、“どう(How)”描くかが重要になったんですね。
戦後の日本でも、爆撃でみんな燃えてしまったり、戦時中の金属類の没収もあり、日本中でものがなくなっていたので、持つこと(=無い事の恐れ)に執着したから、国民全体が物欲の塊とも言える、「What」の時代がありました。高度成長の基盤と思います。家電以外でも造るものはどんどん売れて、所持すること=豊かさを取り戻すと評価された時代です。今ではものは行き渡り、あるだけではなく、どうあるのかという「How」の時代になりました。みんなの世代では無いことをあまり気にしないんじゃ無いかな。必要なものの対象が違うこともあるけど、どんな生活がしたいかを先に考え、それに必要なものを揃えていくような。そうそう、昔は「嫁入り道具」と言って、箪笥などは欠かせなかったけど、今はそんなことを行った途端に『ふる〜!』って一刀両断に切り捨てられてしまいます。
近代絵画に移行して価値の問題が取り上げられたんだよ。ざっくり、わかりやすく言っちゃうと、例えば、花は大抵の人が「美しい」という評価を疑わないよね。では花の絵を描いた時、その絵は、花が美しいから美しいと思うのか、その絵自体が「美しい」のか? 富士山もそうですね。富士山の美しさは誰もが認めます。美しい富士山が描かれているから美しい絵なのか、それとは別にその絵自体の美しさを言っているのかを彼らは問題としたのです。
一般に美しいと認められている価値、つまり、「既存の価値」を捨てて、「新しい価値」を生み出そうと強く動いたのが20世紀の初頭に登場した、アヴァンギャルド(フランス語で「前衛」という意味)と呼ばれる人たちでした。理想像としてのヌード(女性美)を辞めたり、貴族などの肖像画からの脱却、人間自体を描こうと、それまで扱われなかった女中や職人、大衆、民衆にモチーフを変えたりしています。
既存の価値を持つ「具象」を捨てて、見たこともない「抽象」を求めたのはこんな理由からと考えるとわかりやすくない? 新しい価値を生み出すこととは、これまでに見たこともない美しさを創出すること。そのために抽象絵画は始まりました。
まぁ、絵画の規定などの話については、油絵学科や彫刻学科など、アート系の学生たちを対象とした授業では、もう少し幅を広げて、掘り下げて、話していますよ。絵画の規定についてとか、コンテンポラリー・アートとアヴァンギャルドはどう違うのかなんかもね。
「美しい」は、ものに不可欠な価値です。現代でもそれは変わりません。アートだけでなく、工芸でもデザインでも同じです。我々が制作するものは、すべて美しくなければなりません。そう言えば、機能と形態との問題もありました。機能が優先するか形態美を優先するか。それは愚問で、全て一体で考えることこれがデザインです。なんでも分けて考える理系の考えに同調する必要はありません。これはまた別の日に話しましょう。
何をつくるのかではなく、どうつくるのか。WhatからHowへの転換。アイデアスケッチを行うとき、これをスタートにおいて始めよう。課題だけでなく、考えるものやことのすべてはここからのスタートと言っても過言では無いでしょう。

武蔵野美術大学 授業覚書 2-02 / 19第2回:デザイン発想法02AIBO話を変えて、SONYのAIBOという製品の画像をネットで検索させます。発売当初から話題になった犬型ロボットです。少し前に最新型が発表された時、その高度に制御された...
30/08/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 2-02 / 19
第2回:デザイン発想法02
AIBO
話を変えて、SONYのAIBOという製品の画像をネットで検索させます。発売当初から話題になった犬型ロボットです。少し前に最新型が発表された時、その高度に制御された動作に再び注目され、ニュースにも取り上げられました。
画像検索をかけ、『初期型と最新型を比較してみよう。』その後で『さて、最新型と初期型、どちらが好きですか。』と再び質問します。初期型はロボットのようなフォルムであえて似せることを控えて、形状をまとめたものです。最新型は逆に犬そっくりに見えるように、形状も動作もより犬らしく精密に、洗練されています。
初期型支持:ロボットはロボットらしい方がいいんだよ。どんなに犬らしい動作をしても、体温がないし、触覚的な違和感が返って引き立つ。「偽物」と直ぐにわかるので、気持ち悪い。別に犬じゃなくていい。顔の表情は似せようとするほど気持ち悪い。人工的な仕草? 媚を売るような仕草が嫌い。犬の動きに近づく程、違いが違和感として感じられる。
新型支持:動きが可愛い。これだけ精密に動作するのはすごい。この動きならロボットでも「犬」を思い出すのではないか。可愛いので心が安らぐ。「アニマル・セラピー」も有効とされている。年寄りにはいい(大きなお世話)。

新型はすごく精密な動きをしているよね。同時にいろいろな部分が連動して動作する。何よりコンパクトなのがすごい。育て方で性格が変わるのかな。「たまごっち」は知っている? 個別に話すから、個別に反応して答えてしまいます。
さて、好きな方、いいなと思う方に手を上げてもらおうか、と決を取ると大抵は、初期型多めのほぼ半々です。そこで『あのソニーが、何でこれを作ったのかな?』と話を進めると途端に反応が鈍ります。『売れるかな? 売れなくてもいいのかな?』 
実は、ものを作ることとは何か。我々はヒトとモノをどう考え、どう結び付けるのか。ということを話すための前振りをしていました。残念ながら彼らの意見は、一般人と同様の消費者目線からの発言やニュースでの言葉使いのままです。表現者(提案を含む)を育てるための大学なんですよ。コンピュータの操作だけを教える授業をこの学校は求めません。これは将来への「種蒔き」です。でも、近年、種も蒔かないくせに、刈り入れ(提出作品)に“不作”を言う教員が多いんですよ。
さてさて、『よく耳にする「提案」って何をすることかな。自分の好きなものやことを言えば提案になるかな? 提案するには「コンセプトワーク」も同時に必要になるよね。「concept」って何?』
アイデアを出す時、こんなものがあればいいなって思い、ラフスケッチを始める……。「筋」は間違っていませんが、それだけでは足りません。そこから踏み込んでいくんですよ。例えば、いいなと思ってくれる人はどういう人か、どんな時、場所ならそう思ってくれるのか、それがどんな影響を与えるか。個人に、社会に。そうやって煮詰めていくときに、「新しい価値」を見つけ出して、初めて新しい提案にたどり着くんじゃないの?
「社会心理学」という領域があります。以前からここ、工デに必修科目として取り上げてほしいと思っていました。モノが社会に与える影響、ヒトに与える影響を考えずにはいられないでしょ。我々が考える“価値”はどこに該当するのでしょうか? 
ないモノを生み出す、あるモノを変更して時代に沿った価値を生み出す。これをかっこよく言っちゃうと、「新しい価値の創出」っていいます。既に決まっているものを作り直すことに意味はなくても、新しい価値を付加するなら作る意味が生まれます。『コンセプトワーク』ってそういうこと。ARTと同じく「What」から「How」への転換を求めなさい。
それを考えて、もう一度、AIBOを見てみよう。と言いつつ答えは出ません。自分で考えなさい。おいおいと話していきます。

11/05/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 2-01 / 18

第2回:デザイン発想法
授業開始直後にPhotoshopの起動を指示し、ラフスケッチを巡回しながら見せてもらう。デッサン力の低下は年々如実に表れています。本人も自覚していることは、後日に提出された感想文などで書いています。私が入学した頃は20〜30倍の競争率でしたが、今では7倍をキープするのが大変になっています。でも単純に競争率の低下がデッサン力の低下の原因と簡単に決めつけていては、この問題を解決できないでしょう。
それではと、コンピュータは放って置いて、デザインの「発想法」についての講義を始めます。

ラフスケッチの典型
スケッチを見終わった後で、学生たちのスケッチの典型について説明していきます。これからいう典型に合致していないか、自分のスケッチを客観的に見なさい。それと描きながら考えていた道のりを思い出しなさい。そこからスタートします。過去に見てきた典型を順にあげていきましょう。
◯ 何か思いついたらそれを描く。不必要な描写まで加えて克明な描き込みを加えてしまう。手が勝手に動いているだけ
◯ スケッチブックのページを捲るたびに全く違うスケッチが現れる。一貫性がない。思いつきを追いかける
◯ 人と違うもの、人と違うアイデアを追い求める。行き詰まった感が現れ、面白がっていない、冷めた感情が紙面から溢れている
◯ 動物や植物の形状が生のまま描かれている。漫画的描写。可愛いと言い切る、言い張る
◯ 強引な機能の添付、こじつけの形状。相応しくない形態イメージ、バランス感覚を疑う変形
◯ すぐに壊れそうな危うい形状。細すぎる。重さに耐えられない、すぐに欠けそう
◯ 使う人、使う環境、使われる状況を想定していない。どこの誰がどう使うの。HOWの欠落。使いづらい。洗いづらい
◯ 味覚とマッチしない。美味しいものを食べるという世界から遥かに遠い。不味そうに見える。触りたくない
◯ 素材感がない、立体感覚がない。厚みに対して無頓着(加工方法も考えにはいっていないことが絵から伝わる)…素材と加工によって必要な厚みがある
◯ 小さすぎるスケッチ。直径で言うなら3cmほどの大きさのスケッチの羅列
描く大きさも大切です。これは平面でも立体でも共通しています。小さすぎると、個別の特徴がすべて「小さい」という表情が前面に出て、フォルムの特徴が消えてしまうからです。それに気付かないか? スケッチに自信のなさの表れとまでは言わないものの、気持ちが入っていない絵の羅列をしていないかと質問。

ぱっと思いつくことは既にあるもの
「思いつく」と「思い出す」はどう違うか。と唐突な質問から始めます。「思い出す」のは経験があって起こることです。「思いつく」はどうだろう。事前に用意された論理を組み立てて結論を導き出すというような思いつく(考えつく)ではありません。ないものを思いつくことができるのかという話。辞典類を調べても書いてありません。思いつくの脳システムの問題です。
本来、経験=記憶にないものは思いつけないと思います。そのままの経験=記憶は「思い出す」という語を使います。つまり「思い出す」は記憶の断片でもいいのです。しかし「思いつく」にはそれらが独特の関連性を結びつけて、それも一見、関係性のないものまで含めて、混ざり合わされて複合化したものに変化して、まったく別の形で現れた時に「思いつく」に辿り着きます。
では、偶然、思いつくことを限られた時間内で追い求めることは、無理があると思いませんか。明日までとかあと数時間という期限を切られているときに、こんな当てのないことをしていられるでしょうか。それで落ち込んだり、悩んでいる人は頭が悪すぎます。言葉が悪くてすみませんが、私には毎週3本のプレゼンを作り続けていた時期があるんですよ。何も思いつかない、枯れてしまったのかと、絶望を何度も経験しました。その頃、思いつくことに依存していては間に合わないと当然の如く思うようになったんです。
思いつくの大元は思い出すです。別の角度から考えてみましょう。ラフスケッチを短時間にたくさん描けないのは、思いつけないのではなく、思い出せないからじゃないかな? ラフスケッチはそういうものだと思い込んでいるとしたら、勿体ないよ。その理由は自分で描いた絵の価値を見捨てているからです。
この話の続きは後にします。その前に、思い出すことはすでに見たことがあると言うことになります。見たことがあるものは既にあるということです。既にあるものをわざわざ、あなたが作り直すのは、勿体ないと思いませんか。デザインは常に「新しい」を求めます。既にあるものを丁寧に時間をかけてスケッチブックに描くことに意味はありません。返って心が引き摺られ、考えを立ち止まらせてしまうでしょう。
もし、既にあるものを作り直すとしたら、新しい価値を付加する必要があると思いませんか。それが温故知新、コンセプトですよ。本来の姿、あるべき姿を求めて作られます。
こんな話から、学生たちのスケッチは「記憶の羅列」にしかなっていないことを確認させます。
《ぱっと思いつくことは、既にある、もう古くて使えないアイデア》であるということ。それがわかっても、心をひきづられるものがあったら、どこにその原因があるかを観察することです。何が気に入ってんだろう。それは単なるフォルムや質感かもしれませんし、造形上の線のひとつかもしれません。それならばそれを描き移して、その線やフォルムを単純化したり別の線を加えたりと、変化を与え続けることだできるでしょ。そこから始めればいいんです。
それより何より、私の経験ですが、“いいもの”を思いついたとしてもすぐに色褪せてしまいます。そしてすぐに忘れる。ああ、もったいないことをしたと思います。そのためのスケッチブックなんですね。だから常時携帯していろと昔から言われているんですよ。
少しずつ、周りを固めながら、デザインの発想について理解を積み重ねていきます。

06/04/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-12 / 17
実技指導01:Mac OSのシステム環境設定、文字入力
コンピュータの使用経験は社会的に向上しました。初めて授業を持った頃はキーボードの説明でかなりの時間を費やしていました。今は正しい両手の位置を教え、すべての指を使って入力することを教えます。キーの位置は指で覚えろとね。そうすればブラインドタッチはすぐに身に付きます。
JIS準拠配列の説明は飛ばして、Macキーボードだけにあるモデファイアキー類の機能やファンクションキーの機能割り振りと2種類の数字キーの違い、ページスクロールなどを説明。Macのキーボードにはdeleteキーが2種類あり、その違いもね。

次に読めない漢字の検索方法を説明
レポートを書くときに必要です。私の名前を入力してみて! 「顯」の検索。漢和辞典が搭載されているよ! その開き方。使い方。

全く違う「字体」と「書体」の意味
テレビのアナウンサーも間違えて使っています。これは一般人ならヘェ〜ですみますが、学内では恥ずかしいことですよ。当然、アナウンサーも、放送局も。

他言語入力方法などの説明。使用する言語の追加と削除。
MacのOSは世界中で使われますが、1種類しかなく、言語の選択で使い分けられることも追加で説明します。留学生の母国語入力も簡単です。ただし共用コンピュータ室なので、元に戻してから、システムを終了するように注意します。

もうひとつの辞書
OSにはもうひとつ別の辞書がついています。これは自分でカスタマイズして、文字入力を省力化、効率化して、変換ストレスを無くすために用意されています。つまり自分で育てていく感覚を持って使うものです。名前の文字検索で苦労したり、「武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科」なんて語を毎回入力するのは面倒ですからね。

キーボードの隠し機能
学生たちだけでなく、一般の人も含めてですが、shiftキーやCapsLockキーで欧文の大文字入力ができることは知っていても、optionキーでキーボードに表示されていない文字種が入力できることは知られていないでしょう。これをキーボードビューアを表示させて確認。©(コピーライト)や®(登録商標)の入力方法などを教えます。
文字入力ぐらいできますよと言っていた学生たちはこれで脱帽。そして、今日の授業は終了。

学生からの質問に対応した後、教室を片付けてくれた補助教員と今日の反省会。
さてさて、久しぶりに会ったので、どこでお昼を食べようか。

04/04/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-11 / 16
課題説明
改定後の課題は「注器のデザイン」にしました。液体を注ぐ道具から自分で選択。やかんや水差し、ジョウロ、調味料セットもOK。素材や加工はコンセプトに相応しいものを選択すること。
と言っても素材も加工もろくに知らない学生たちなので、作品内容は採点上で重要視しません。その代わりに発想から展開へのステップについて丹念に見ていくことを伝えます。ですからラフスケッチから関連資料など、この期間に入手したものすべてを提出させます。
さらにボードワークはB 1 サイズで縦横自由とし、コンセプトワーク・レンダリング・製図は必ずレイアウトに盛り込む条件をつけました。製図やレンダリングが必修から外れたことについては何度か意見を言ってきましたが、未だに選択科目のままです。
では、どこで製図やレンダリングを教えればいいのか。教室は授業後に残って使えません。もう何度もやっている授業ですが、授業後に質問対応として、希望者に個別に指導するしか時間を作れません。お昼ご飯も食べる時間がなくなります。と、これもそのまま学生に伝えます。そう、“自分で動け”と諭すのです。

100枚以上ラフスケッチを描く
注器のデザインをするにあたって、100枚以上のラフスケッチを次回までに描いてくるように伝えました。例え案が決まっても、継続してスケッチするようにも伝えました。1日おきの授業ですから、時間はたっぷりあります。授業のない日は休みではなく、自由に動いていろいろなものを見に行ったり、資料収集や調査する日と考えてください。情報収集の能力も重要ですよ。
フォーマット自由な制作日誌もつけるように指示。これは後になって読み返すと面白いんです。学部の卒業制作で私は初めて日誌をつけました。これを何年後だったでしょうか、読み返した時、なんて馬鹿なんだとか、稚拙で幼稚、つまらないことを気にしている文章が残されていたんです。笑うしかありません。でも書いておいてよかったと思ったから、彼らにも進めるのです。その日、その日に書くことが大切で、後でまとめて書こうとしてもその時の思いや考えは意外とすぐに忘れているものなのです。過去に授業中の私の写真を撮って、それにコメントを書き続け、ミニ雑誌風に綴じた日誌がありました。これには負けました。何気なく作ったものかもしれませんが、いいセンスだと思いました。狙って作ったののなら尚の事すごい。グラフィックデザイナー、やっちゃえ!
ただ11月にもなって、ラフスケッチをちゃんと教わっていないことは、何年もやっているので既に知っています。これは落とし穴です。教員たちはみんな、学生たちが自分なりにできることだろうと決めつけて、放置しているのです。昔のように、スケッチブックをチェックして、制作内容を指示するようなことはしなくなっていますから余計です。私が学生時代はこれが常識だったんですよ。
多分、殆どの学生が100枚も描いて来れないだろうということも予測できています。でもこれは次回の伏線になっています。事前に問題提起しておくこと。できなかった事実、自分の現実を前にして、考える授業にスムーズに入れます。隔日授業のテクニック。ですから次回は、なぜできなかったかについてから始まります。

02/04/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-10 / 15
学ぶとは07:結果を求める
“近年の”とよく言いますが、私が大学だけで35年間教えてきたことを念頭に置いて、まぁ聞いてください。最初に教えた連中はもう50代半ばですね。君らの親の年齢に近いんじゃない。長く生きると、それだけ見えるものなんですよ。
近年の学生の傾向として感じるのは、まず、失敗を避ける傾向が強まったことです。誰も失敗しようとして行動しませんよ。でもはじめに、失敗したらと頭に浮かんでから行動しているように感じます。その理由として、先に結果を自分で決めているようにも見えるんですよ。それと目的にまっすぐ行けると考えているというか、こうすれば、こうなると決めているようにね。失敗しないように、慎重になる。面倒がるようにも見えるけど、ビビりが入っているような。途中でトラブルが起きたら面倒だから、考えることを避けているのかもしれません。
でもそれは間違い。この世の中で決まっていることとは、生まれたものは皆死ぬと言うことだけです。いつも計画を実行している時、波乱に対して恐れを感じています。うまくいくことを只管、願っています。ハラハラです。つまり、計画こそが不安。そうそう、失敗したらもう終わりだというような決めつけも感じるんです。
不安をいけないことと考えてはいけません。大切なことほど不安になりますが、不安の所在は自分の心の中。心が作り出しているんです。 そしてそれをただ乗り越えていく。そこに成長があるっていいます。
この間見たアニメで主人公が言ってましたけど、『自分は今、成長している』。これは嘘です。成長する時は何かの試練と夢中で立ち向かっている時で、自分を客観視している暇はありません。やり遂げた時より少し後になってから、やったー感が訪れます。次に同じようなことに巡り合っても平気になって、試練と感じなくなります。こんなの簡単と、経験が自信を育てるんでしょ。
またアニメの話ですけど、“頑張る”がキーワードになっているアニメが多いよね。つまり、視聴者が望んでいるということ。アニメの前に漫画があるか。大体、漫画で人気が出てからアニメ化されるもんね。君らは頑張ることを望んでいるのかな? 
ひとつ教えてあげる。子供は勉強が好きなんだ。知らないことを知ることは、本来大人になってもというより死ぬまで面白いことに決まっている。子供の時は夢中になる権利があるというか、他のことに気を向けなくていいという特権があるから、それがスッキリに見えるの。でも大人になっても本当は変わらないはずなんだ。人間は学ぶことが好きなんだし、それを望めば、自然と“頑張る”んじゃない。スポーツみたいに単純に結果が出るわけではないけど、やりたいことが見えれば頑張れるんだな。
そもそも何に対しての成長なんでしょう。成長して大人になるの? 大人の定義もあやふやですよ。自分の成長なんてのは、そう、長く生きて、振り返った時、あの時なのかなぁなどと思い返すだけでいいんじゃないですか。思い出せないと困りますか。そんなのどうでもいいことに思えます。
大事なこと。失敗してもそれで終わりじゃありませんよ。

学ぶとは08:成功と失敗は同じ価値
私の娘の話なんですけど、彼女はもうすでに40歳を超えていますから、笑い話にしてくれると思うので話しますけど、ここの受験の前日の晩に、突然電話をくれました。高三の時です。不安に潰されそうになって、電話をくれたのだと思います。私は青山1丁目の交差点を過ぎて、事務所へ帰る途中でした。が、空き地を探して、すごい長電話をしました。彼女の情緒がおさまらないのです。その時の話です。
私は2年浪人しました。私の経験を話しましたが、彼女はそれでも不安が拭えないどころが、よりひどくなりました。さらに、『受かっても落ちても同じだよ』と言ってしまったことが、火に油です。そんな状況ではまず不合格が決定したようです。
「浪人」は我々の頃は人間扱いされないほど、恥ずかしい生き物でした。その後「受験生」と言い換えが発明され、「受験生ブルース」という曲もヒットしました。こういう言葉のすり替えはマスコミの常套手段ですね。コマーシャル的なアイデアを反映していると思います。中身は変わらないのに、聞いた耳触りがいいとか、抵抗感が薄れるとかいうの。その考え方は僅かであっても、人を何かに誘導するような、騙しに似た雰囲気が混ざった匂い。私が広告の仕事をあまり好きじゃない理由のひとつ。売るためにというのはわかるけど、ね。
成功して手に入れるものと、失敗から学ぶこと。そんなに価値は違うでしょうか。たとえ失敗したとしても、その後に何をするか何を学ぶかでその価値が決まるのです。有名になってもそれで苦労が生まれますし、束縛も受けます。お金持ちが幸せで、貧しいは不幸でしょうか。苦しい生活をしている人の方が認知症にもかからない? わけでもないでしょうが、ボケている暇もないよって吐き捨てるように言った知り合いがいたよ。
たとえ失敗したとしても、失敗したからこそ見つかることがあります。多分、うまく行った時より多くの学びがあるでしょう。
もっと大事な話。作品を作っていって、うまくいかない時。きっと君らにも訪れます。その時どうしますか。やめてしまったら、失敗になりますよ。でも、放っておくと、まだ途中ですよね。
時々思い出して、何か乗り越える方法が見つかったら、また始めればいいだけです。やめなければいいんですよ。
見つめ直す時間。人の作品をよく見るようになります。意外な原因も見つかりますし、ものすごく勉強になります。失敗として止めてしまえば、何も残りません。

30/03/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-09 / 14
学ぶとは06:提案
そういえば、世代を超えた友達が少ないことも今の学生の特徴です。だいぶ前から言われていますよね。先輩、後輩という関係を築けないこと。煩わしいと思うこと。もう先輩・後輩だけでなく、人と関わることが煩わしいと思っている人。そういう人ほど、いい人間関係を渇望しているのだと思います。これは人間の本能だからです。そう、人と一緒に生きること、人に喜んでもらえると嬉しいは人間の本能です。だから人と話す時、最も表情が現れる目や口元を見ているでしょう。
そこでみんなに提案。もっと歳の離れた友達を持つこと。私はみんなと同じ頃、学生時代に60歳を超えた友達がたくさんいましたよ。みんな飲み屋で出会った人たち。一緒にいて居心地がいい人たち。酒を飲めと言っているのではありません。未成年も多いのですから。
君たち、工芸工業デザイン学科は幸せですよ。みんな工房で制作するでしょう。他の学科は自宅で制作したものを持ってきて提出しますが、みんなは工房で制作しなければ作れません。工房はいろいろ教わったり、教えたりできる場所だと思いませんか。知らない技も盗めます。知識と技術の、いろいろな情報が溢れているところが「工房」です。
先輩だって君らと同じ道を辿っている人ですよ。いろいろ話しかけてみなさい。さらにいいのは、自分が専攻している所の先生だけでなく、違う所の先生に質問しに行くことです。みんなを自分の力にしなさい。ただし礼儀を忘れずにね。

変わらないのではなく、変わり続けていく中にある変わらないことを見つけること。これを見つけることが大切ですが、年齢を重ねてから気づきます。若い時に考えることではありませんよ。
若い時は「自分がわからない」というのが多分、正解で、安っぽい自分でも捨てることには勇気が入ります。逆に変化がなければ自分を発見することができないんじゃないかとも思います。
またみんなに質問。私の中の私は私でしょうか?
みんなが見ている私が社会の中の私ですよね。どう? 中を変えなくても、人に見えるところだけ変えるだけでも、人からは変わったと言われます。結局、中も変わっていきますけどね。
これを気に病むことはありません。自分を全うするしか他にできないんですから。

25/03/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-08 / 13
学ぶとは05:好きなことを職業にする
私はジャンルを問わず、好きなことばかりを採算も考えずにやってきました。こんなのがあるけど、やる〜? って聞かれた時に面白そうなら、なんでもやってきました。うちはプロダクトデザインの事務所でしたが、そんな話が来るたびにグラフィックデザインやパッケージデザインなんかも受けました。店舗設計も、Webサイトもいくつも作ってきました。スタイル画を直してあげたりしたこともあったか。
やったことがない仕事でも、『デザイナーは顔と勢いとハッタリだ!』って嘯いて、やってきたんです。困った時は友達の事務所で情報収集して、なんとか乗り越える。その仕事がウケると次が来ますから、次からはもう得意分野として振る舞います。“専門”ですなんて顔して内容を打ち合わせるのです。逆に納品後に連絡が途絶えたら、上手くいかなかった原因を考えます。その繰り返しでずっとやってきました。
みんなも好きなことをして生きていけたらとかも思うかもしれませんが、では、嫌いなことをどうするか。です。ここで話したいのは。
真剣に一生懸命、好きなことをやっていこうと思ったら、必ず、嫌いなことに出会わしますよ。
私は毎日、決まった時間に決まったことをするのがそもそも苦手なんです。さらに人付き合いが子供の頃からうまくありません。今でも周りの人によく『言葉が足りない』と言われます。元々、人見知りも酷かったから、人前で話すなんて嫌でした。なのに、ここで話しているなんて、ね、若い時には思いもしませんでした。毎日、決まった時間に決まったことをするのが、そもそもダメなんです。
好きなことだけやりたいのだと言っても、避けて通れないことをやらなければ、その先にある、もっとやりたいことができないと思いませんか。夢中になって何か始めると、始めた時には知らなかったことが次々現れて、もっと面白くなります。“沼にハマる”っていうの? 最近?
だからコンピュータで使われる単位や簡単な理論の話に掛かっても、寝ないでね。「仕組みを知ることは、応用を学ぶということ」なんだよ。こうして、こうして、こうなっているんなら、こういうやり方だってできるじゃないか。その逆に、やり方を学ぶ方法は条件や状況が変われば、そのやり方は使い物になりません。書店に行けばそんな本がたくさん置かれています。あれを読んでも君たちなら、使い物にならないことはわかるでしょう。
仕組みの理解は、いつでも応用する力に変わるんですよ。この授業だけじゃなく、大学のカリキュラムも君らが考えているその先を見据えて、必要だから設けられているんだよ。こんな課題やりたくないなんて思うこともあるだろうけど、今の自分で判断しないでね。
それでね、わかったこと。人がいうことを素直に聞くことの重要さ。従順なほどに受け取ること。わざわざ言ってくれることを大切にするって当たり前のことです。これは美意識の向上にも役立ちます。どうやったら自分のセンスがよくなるのかな。もっとセンスを良くしたいでしょ。スキルアップの中核にあるのは、そもそもの能力向上ですよね。名画だとか、名作と言われているもの、国宝とかも。何がいいかわからなくても、ただひたすらそれを信じて、目に焼き付けるように見え方を記憶することです。これも「つづく」です。後日、話しましょう。
嫌いなことを好きにするというのは、踏出しにくいでしょ。私が思いついたことは、嫌なことに楽しさを発明することです。この作業を何分でやっちゃえるかとかのゲームに変えたり、自分だけのチャレンジゲーム。どう?

23/03/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-07 / 12
学ぶとは 03:再び、自分が変わること
さてさて、ここで問題として取り上げているのは、自分は自分。自分は変わらないことがいいことだという考えが、しっかり蔓延っているという話でした。「変わることはよくないこと信者」、今も増加中! ブレない私はかっこいい! 変わるのは負けることだ。まぁそこまで拘った人は少ないでしょう。
かなり前からですけど、確実に増えているようです。世界的傾向なのかな? 敢えて言いますが、変わることを避け、自分の価値基準で判断するのは最も損をする考え方ですよ。「自分で成し遂げるのが正しい」とか「自分で決める」ことがいいことだとも信じて、これが自立だというような錯覚。
人は三歳くらいで最初の反抗期が来ますが、今話しているのは中学生を過ぎてからからの話、第三ですかね。“思春期”だからと済ましてはいけないことだと思うんです。解釈違い、意味の履き違えは正す方がいいと思います。
自分で決めるのは間違っていませんが、自分だけで決めることと周囲の意見を聴き比べた後で自分で決める(選ぶ)とでは雲泥の差があるでしょう。
もう亡くなられましたが、アメリカのドロシー・ロー・ノルトさんが書かれた本、『子供が育つ魔法の言葉(旧題:インディアンの教え)』にもありました。その中で、『最も危険なのは自分で決めること』と書いていましたよ。若い人が自分だけで決めることは、危険です。友達の意見といっても同世代、同類とも言いますが、仲間内だけでの判断は間違いの元です。友達に嫌われないように、そうだそうだと言ってしまいがちでしょ。でも実は他人事。
ドロシーさんは、今上天皇が皇后を連れ添って、愛子さまが産まれた頃だけど、アメリカ訪問中に予定を調整してわざわざ会いにいった人ですよ。この本は世界的なベストセラーです。大学の教職課程でも教材にしていた時期があったんじゃないかな。
時代の流れなのでしょうか。「自分」というものが近年益々、強くなってきています。これは若い人に限ったことではありません。日本的な考え方からどんどん離れていくような感じで。西洋的で、一神教のような。愛しているよって口で言われなきゃわからないと堂々という人も増えているし。原理主義? グローバル化? グローバルはローカルです。これはまたの機会に。
う〜ん、もう少し考察が必要です。

学ぶとは 04:鍛と練の違い
「ブレる」ことと「自分が変わる」とは同じではありません。思考が硬いと柔らかいの違いと簡単には言えませんが、そんなもんです。目的が明確なら変わっていいんです。目的がないから、その場しのぎでブレるんでしょ。
鉄を叩くと炭素が飛んで、硬くなります。鍛錬とは、文字通り、金属を打って叩いて強くすることです。では練とはこねるとか練り固める。練るは「練達」や「老練」などの言葉から、鍛えるよりさらに手を加えて質をよくするという意味になり、柔らかさ、可塑性を意味しています。日本刀が折れないのは鋼の外側に柔らかい鉄が包んでいるからです。また古武術には「体を練る」という修行があります。体全体の部位が、ひとつの動きとして全部連動して動く体の使い方を身につけるために、何度も体に覚え込ませ、染み込ませます。
確固たる自分を作り上げてしまうと、最後は自分で自分を持て余すようになりますよ。完璧な自分なんかあるわけがないし、そもそも完璧ということ自体がなんだかわかりません。そうするといずれ苦しくなっていきますから、そんなものは捨てた方がいい。硬いんです。考えても答えが出ないものを考えるから、自分で自分を勝手に困らせちゃう。折れますよ。
挙句に“自分探し”をする人も出て来ます。ちょっと前に流行りました。誰が言い出したんでしょうね。自分探しの旅とか。旅に出たらその土地で染まっていいと思いますよ。郷に入っては郷に従え。でも自分を変えずに、風景のように客観視をしようとする。硬いんですよ。本当に折れちゃいますよ。
こんなの祭りと一緒。祭りが楽しいのは誰? 見ている人、遊びに来ている人、夜店を出している香具師、神輿を担いでいる人、それを仕切っている世話人。真ん中に近いほど楽しいのはわかるでしょ。眺めていても楽しいけど、楽しいの質が違うという話。
そもそもが、自分を自分で探すと言うのは変ですよ。探される私がいて、探す私はでは誰だって、すぐに気づきませんか。私には幽体離脱くらいしか思いつません。そん何、価値ある? それだって脳が作ったものでしょう。こんな風な、意味有り気に見えるけど、実はという話。これはおかしいと考えるのが健康だと思いませんか。
私なんかはその時、その時で、コロコロと考えが変わります。しかも、それでいいんだと思っています。ムサビに入って、凄い人や奇妙な人、つまらない人、たくさんの人たちと触れ合って、その中で制作に没頭する日々を続けていくうちに、変わることなんか簡単になってしまいました。毎日のように新しいことが入ってくるんですから。嫌味で済まず、嘘まで広げられたりもしましたよ。知らん顔で過ごせたのは、学内でのコミュニケーションは言葉でなく、作品制作が担っていたような気がします。口を開かなくても、作品と形振り構わず動き回る姿が語ってくれたようにも思うんです。

耳障りのいい、人を誑かす“魔法の言葉”は、他にもたくさんありますから、常によく耳を澄ましていて欲しいと思います。

18/03/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-06 / 11
学ぶとは 01:自分が変わること
新しい考えが頭というより体に飛び込んできて、自分が変わることを「学ぶ」といいます。私が勝手に言っているのではありません。いろいろな人たちが同じようなことをたくさんの書物に書いています。
『知らないことを知ることが学びのスタートです』というと皆さん同意するのですが、『その場で自分がガラッと変わることが学びだ』というと、意外にも素直に受け取ってくれません。知らないことを知っても変わらないとしたら、それは大したことではないか、受け取る能力、感受性が不足しているからだと思いますよと付け加えたら、もう、反感持たれます。
『明日死ぬと言われたら、その途端に世界が変わる』と『バカの壁』の著者、養老孟司さんは言ってます。それまで見てきた風景が変わる。すべてが変わって見方が変わるって。それが学びだと。ちょっと、ちょっと飛躍してるか? 難しい?
そもそも、世の中を変えるって叫んでいた時代がありましたね。私の高校から大学の時期です。全国というより、東京が最も過激だった「学生運動」です。これが活発になった後、自滅していきました。ムサビも学校閉鎖まであったんですよ。三多摩の拠点みたいになったというか、外部学生が入り込んで、混乱したそうです。
「浅間山荘」を鉄球で壊していたシーンは今でも鮮明に覚えています(おまけ。カップヌードルが報道中に映されて、日清大喜びで、今のカップ麺の普及に繋がってる)。「ウーマンリブ」とか言ってた連中もいました。三島由紀夫は切腹しちゃうし、ある意味出鱈目でした。
でも何を叫んでも、何も変わりませんでしたよ。火炎瓶投げても、ゲバ棒を持っても。
強引に他人を変えようとするから、最後は犯罪を引き起こして、何人もの人を殺してしまったりするんです。これを“おこがましい”と言います。他人を変えるより、自分を変える方が簡単でしょ。それはもう、結婚すればすぐにわかりますよ。
世の中を変えるんじゃなくて自分を変えるんです。状況が変わる時に自分も変わればいいんです。そして物の見方が変わる。だからそれまで思いつかないアイデアも生まれてくるんじゃない。

学ぶとは 02:情報伝達の原則をひとつ
我々は意識に関係なく、常に周囲に情報を発信していると考えられます。言葉の有無を問いません。顔の表情も、仕草も、歩くスピードさえ「情報」なんです。
一般的に情報は、発信側が主導権を持って伝えるものと考えやすいのですが、内容をよく観察してください。『発信側より受信側の能力(年齢や性別、学歴、経験、宗教、民族など全部含めて)によって、伝わる情報の量や質が変動する』というのが原則です。
情報伝達は伝えた量や質ではなく、伝わった量や質で評価することが大切だと思いませんか。これは我々、造形系と理系のデザイナーの違いでもあるんです。表記しているか、していないかを重要視する理系デザイナーに対して、我々は常にどう表記するかから考えますし、そこから逆算するように表記内容までを考えるのです。さらに美意識も重ねて考えますよね。
どんな時も《HOW》から考え始める。あるか、ないかではなく、どうあるべきかを考えることです。これがデザイン発想のスタートですよ。
若い時に読んだ本を年齢を重ねてから再び読んだ時に、全く違う本のように感じることがあります。読むたびに新しい意味やメッセージと出会える。これが本当の本の価値ですけどね。“わかりやすく”という昨今の傾向は自滅することに出版社は気づかなければなりません。読んですぐわかる本は、手元に置くほどの価値もないからです。情報を切り捨てて、限定することで、“わかりやすい”が達成できるのです。悪いけど、立ち読みで読めちゃいますからね。
言い換えれば、年齢を重ねている間に自分が変わったから、別の、新しい意味やメッセージを発見できるんです。
「文字」の情報量と「絵」の情報量も違います。「絵」の情報は元々受信者側に読み取る権利みたいなものがあります。見る人の勝手でしょってなことです。それに対して、文字や言葉の情報は発信者側が内容をコントロールする権利を持ちます。ただしこれも読み取り次第で情報量が変わりますし、その意図を読み取ることで発信元のメッセージの効力が逆転する場合がありますので、やはり、情報は受け手が鍵を握るのです。「いいよ」って言われた時に、goodと取るか、badと取るか。日本語は難しいね。音をつけると少しはわかりやすくなりますがね。文字だけなら、マンガに凄いアイデアが盛り込まれています。
言語伝達と言っても、文字には形がありますから、視覚イメージからの影響があります。書体を変えるだけで、あるいは色を変えるだけで、意味に変化が現れます。さらに印刷方式でも、使う印刷用紙でも触覚的な違いが生まれますから同様の変化が起こります。こんなことも後半の週で話しましょう。

17/03/2022

武蔵野美術大学 授業覚書 1-05 / 10
共用コンピュータ室のルール
リテラシーとは本来、読み書きの能力を言います。これが「コンピュータ・リテラシー」となると、低次元ではスキルの習得となるのでしょうが、インターネットでの中傷事件や嫌がらせ、さまざまな問題が指摘されているでしょ。あるいはスキミング、ウィルス、サイバー攻撃など、知らないで使うととんでもない目に遭うことは知っているでしょう。
自分の身を守ることを学ぶことが大切だよね。だからデスクトップにファイルを出しっぱなしで帰らないでね。バックアップが済んだら、必ず、不要なファイルはゴミ箱に捨てて帰ること。軽い気持ちの悪戯が大きな問題に発展することだってあるんだよ。不正アップロードは犯罪ですって、JAROも言ってるでしょ。ん、ちょっと違うか。
そもそもみんなが使うコンピュータのデスクトップにファイルやフォルダを置いといて、他人に見るなという方が無理だと思いませんか。君たちが使わない日には他の学生たち、知り合いも含まみ、使うんですよ。全く知らない人より、少し知っている人の方が、興味を持ちます。
他人に自分のファイルを覗かれるのは嫌じゃない? 
昔から“Macの美意識”と言って、何もないデスクトップがかっこいいとしてきました。一旦、デスクトップにフォルダを置くと、必ず増殖していきます。アクセスがいいからと言っても増殖すればどこに置いたかわからなくなります。朝来て、電源入れて、散らかったままのデスクトップを見るのはどうでしょう。前人の“使ってた感”満載の画面は嫌じゃない? あなたが嫌なら、他の人も嫌です。
ハードディスクのアイコンも、今作業中のファイルも置かない。Dockがあるから、書類フォルダに制作用のフォルダを作ってそこに置いても、Dockからアクセスできます。Dockも通常は非表示にしておいて、使う時だけ現れるように設定しましょう。
制作用のフォルダを作り、名前をつけます。さらにそのエイリアスを作って、Dockに置きます。Windowsのエイリアスとはちょっと違い、「ショートカット」と呼ばれているものです。
ここは専門教育を行う場所です。みんなは著作権や肖像権などの法律も知らなくてはなりません。でも日本はリテラシー教育が遅れています。小・中学校の教員人材不足。数はいるんですがね。学校がうまく機能していません。制度の保持ばかりを考える。労働組合の問題も指摘されていますね。おっと、この先は口にしてはいけません。

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